【海外旅行】1998年チュニジア8日間(10/11)

◎「スースのモスク」と美しい町「シディ・ブ・サイド」

第6日 1998年2月16日(月)……1/2

 「スース」は「地中海リゾート」。私達の泊ったホテル「ディア・エル・アンダルース(Diar El Andalous)」★★★★★も、庭からビーチに出られる。大きなパラソルがたくさん立っていて、滞在できればいいなあと思う。

 朝食後、海からの日出を待ったが、少し雲があって残念だった。
日の出.jpg

 ホテル前のポストに「絵葉書」2通。「新・若旦那さん」と「ほあぐら&とりゅふ」さんに。600ミリーム(¥70)の切手を貼って出したが、ちゃんと届いた。……というのは、出発前、チュニジア大使館で貰った「資料」には700ミリームと書いてあり。現地ガイドは600ミリームで良いという。

 「500ミリームでも良いようだ」という話し。どうしてかと言うと、料金改訂になっても、なかなか末端まで徹底しないので、切手を買うたばこ屋で聞いた値段で出せば、ちゃんと届く、というのだ。……で、600ミリームでも届いたというわけ。

 8時出発で、「スース」の町の「グランドモスク」ヘ行く。「グランド」といっても、あながち「大きい」とは限らないんだそうで、要はその町の1番重要なモスクってことらしい。私達はツアー代金に含まれていたが、個人だと入場料が1.1ディナール(¥130)。

 「851年建造」と由緒あるものだが、ここも「中庭」には入れるが「礼拝場」は外から覗くだけ。

 9時に「スース」を離れ北上。「首都チュニス」に向かう。途中から「高速道路」になり、時速100キロ。2年前から有料になったそうで、料金は「普通車で100キロ当り3ディナール(¥350)」だそうである。
チュニジア地図5.jpg

 チュニスの西北にある「空港」の横を通り、カルタゴのすぐ北側の「美しい家並」で知られる「シディ・ブ・サイド(Sidi Bou Said)」の町に至る。

 バスを降り、石畳の坂道を通り抜けて、「カフェ・シディ・シャーバン」の地中海を見渡せる「テラス」の所で解散。
高台.jpg

 足もとには、こじんまりとした港に、ヨットやボートが一杯。砂浜のその先は「カルタゴ遺跡」から「現代チュニス」へとつながる。このテラスのまわりの家々は、真っ白の壁に「チュニジアン・ブルー(明るい空色)の入口扉・窓・窓の外の格子・手すりなど」の対比が、実に美しい。

 今日は晴れているので、海の色、空の色も「チュニジアン・ブルー」である。時に「赤と黒に塗られたの扉」などもあって、これも妙。時を忘れて見惚れる。
赤い扉.jpg

 少し戻って、通りの突き当たりにある「名物カフェ・ナット」で「ミント・ティ」1ディナール(¥110)×2 でしばし休憩。
カッフェ.jpg

 ダラダラ坂の両側は、商店がつづくが、ここも横丁も「白壁と青い窓」。「絵にしたいような町並」……と、フイルム1本使い果たす。

 昼食は海岸に降りて「ピラート(Le Pirate)/海賊」というレストランで「シーフード」。サラダと焼き魚(スズキ)、デザートにアイスクリームと、合格点。チュニジアは魚料理が多く、味付けもサッパリして日本人向きと思う。

◎「カルタゴ遺跡」

第6日 1998年2月16日(月)...2/2

 14時30分いよいよ最後のハイライト「カルタゴ(Carthage)の遺跡」。

 手始めは「国立カルタゴ博物館」。ローマに滅ぼされた紀元前146年、都市は徹底的に破壊され、草も生えないように塩を撒かれたという。したがって今に残る都市遺跡はほとんどが紀元後の「ローマ時代」以降のものであるが、それでも、墓地その他から「カルタゴ時代」の器物がボチボチ発見されている。

 一番、目についたのは、「墓碑」そこに刻まれた像(神の像か本人の姿か判らないが)。道粗神のように見えて、私の興味をそそった。
墓標.jpg

 そして、前日買った、人面のブローチが3つばかり「ケース」に入っていた。とても2千年も前のものとは思えないほどの、鮮やかな色と大きい目玉のデザインは、他の素焼きの「面」との対比において「光」を放っていた。
仮面.jpg

 当時の「カルタゴ」の町と港のの復原図は興味深かった。
カルタゴ模型.jpg

 このあと「ローマ時代のアントニヌスの共同浴場」の遺跡を訪れる。地上部分は殆ど破壊され、地下部分のみが残されている。
_あれ浴場.jpg

 ただ2~3本の「石柱」が復元され、当時の規模を偲ばせており、石材も「イタリア本土からの大理石/エジプトからの赤花崗岩/現地の緑色の石?」と多岐に亘っていて面白い。

 ま、ヨーロッパから中近東にかけて、ローマがかって支配したところには、本当に多くの「浴場」「劇場」「闘技場」「水道橋」が残されていて「ローマ」の壮大な「土木工事」へのエネルギーには圧倒され感心させられる。

 16時45分。「トッフェの墓地」と呼ばれるところは、フェニキアの神「バール・アモン」と、カルタゴの守護神「タニット」を祭った「聖域」といわれ、数多くの「幼児の頭蓋骨発見」から「幼児を犠牲に捧げる風習があったのではないか」と推測されているが、最近はこれを否定する説も出ているとか。

 18時「アブ・ナワス・チュニス(aAbou Nawas Tunis)」★★★★★に入る。元気の残っている人達は夕食前に町へ出掛けたようだった。ホテル内にも「ショッピング・アーケード」があったが、土産物などはなし。

 夕食は19時30分から。「最後の晩餐」ということで、フルコース。スープ、パイ皮包み、チキン、デザート。コーラ2ディナール(¥230)。白ワイン1本10ディナール(¥1,100)。コーヒー2.5ディナール(¥30×2。

 もう、ディナールの手持ちが無くなり、コーヒー代は5ディナールのところ、5ドル紙幣で支払った。

2月16日の項終り。

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