【読書】私の読書遍歴(5)山中峯太郎

 先に「少年少女小説」をあげましたが、なかでも強烈な印象は「山中峯太郎」の作品です。

◎敵中横断三百里(『少年倶楽部』1930)挿絵:椛島勝一
日露戦争で活躍した「秋山騎兵部隊」から選出された「ロシア軍の動きを探る6名の建川挺身騎兵斥候隊」の艱難辛苦の物語。注)秋山好古騎兵隊長は「坂の上の雲」司馬遼太郎著の主人公の一人。
敵中横断三百里椛島勝一.jpg

◎亜細亜の曙(『少年倶楽部』1931〜1932)挿絵:椛島勝一
極秘文書を奪い返すため○国の「巌窟城」に単身乗り込み、アジアの民を虐げ侵略しようとする欧米白人の謀略を粉砕する日本人本郷義昭!「白奴!」と白人を罵倒し、屈強な欧米人と立ち向かう頼もしい英雄である。
◎大東の鉄人(『少年倶楽部』1932.8 - 1933.12)挿絵:椛島勝一
満蒙の独立をテーマにした、本郷義昭と鉄人老先生(日露戦争で戦死したはずの仁平大隊長)の活躍の軍事冒険小説。
◎万国の王城(『少女倶楽部』1931.6 - 1932.12)挿絵:椛島勝一
ジンギスカンの血を引く北条龍彦が妹美佐子と共に、蒙古の旧都カラコルムで、馬賊や独立青年党の志士を率いて、ソビエトロシア軍とその手先の活仏ラマ教の活仏・ゲゲンホクトや魔法使いの妖婆を相手に大蒙古の独立を回復するという物語。私は今でも「ゲゲンホクト」という言葉が「恐ろしい怪仏」のイメージで脳裏に焼き付いています。
スクリーンショット 2019-07-25 16.37.56.png

◎見えない飛行機(『幼年倶楽部』1935.4 - 1936.3)挿絵:伊勢良夫

 当時は、山中峯太郎は単なる小説家と思って讀んでいましたが、最近調べた所、立派な「軍人さん」なのでビックリしました。以下「ウィキペディア」からの抜粋で紹介しますと……

 大阪で呉服商を営んでいた馬淵浅太郎(旧・彦根藩士)の次男として生まれる。幼少時に、陸軍一等軍医(大尉相当官)山中恒斎の婿養子となる。のちに恒斎の娘の「みゆき」を娶った。天王寺中学を経て、1904年陸軍中央幼年学校本科を次席で卒業して恩賜の銀時計を拝受し、明治天皇に対し御前講演を行った。

 陸軍士官学校(18期)に進んだが、脚気、自宅療養のために卒業が1期遅れ、1907年(明治40年)5月に卒業、近衛歩兵第3連隊附。陸士在校中に、清国からの留学生と交流を深めた。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官。1910年(明治43年)11月、陸軍歩兵中尉に進級。同年12月、陸軍大学校に入校。陸大は陸士同期生の1割程度しか入校できない難関であり、何度目かの受験で中尉になってからようやく合格するのが当たり前であったが、山中は少尉で受験しての「一発合格」を果たした。山中は陸士19期(卒業者1,068名)で最初に陸大入校を果たし、かつ陸大25期の中で陸士19期は山中のみであった。

 1911年(明治44年)に辛亥革命が起きた。1913年(大正2年)7月に、辛亥革命後に孫文から政権を奪った袁世凱の専制に反対する青年将校たちよって第二革命が起きた。旧知の中国青年将校らの動きを知った山中は、故意に陸大から退校させられるように振舞い、同年、退校処分となって近衛歩兵第三連隊附に戻り、休職して、1913年(大正2年)6月、東京朝日新聞通信員となって上海に渡り、第二革命に身を投じた。同年7月に始まった第二革命は失敗に終わり、8月には終息した。山中は、日本に亡命する同志の中国青年将校らと共に日本に戻った。同年12月には再び上海に渡り、翌年の1914年(大正3年)2月に帰国して近衛歩兵第三連隊附となり、軽謹慎1週間の懲罰を受け、依願免官となって軍歴を閉じた。
--------------------------------
 小説の主人公「本郷義昭」を地で行くような、「秀才」で尚且つ「熱血漢」であったようです。

 軍隊を離れてから、東京朝日新聞記者となる。1917年(大正6年)4月まで在職。その後も第三革命にも関与するが、一方、「中央公論」「東方時論」「新小説」などに評論や読み物、小説を発表。

 1917年、淡路丸偽電事件の首謀者として逮捕され東京朝日新聞を退社、下獄。1919年出獄後、自らの宗教的告白『我れ爾を救ふ』を出版。一燈園の西田天香と交流する。この頃から「婦人倶楽部」「主婦之友」などの婦人雑誌に家庭小説や宗教小説を執筆するようになる。さらに倶楽部雑誌、少年少女雑誌でも活躍するようになり、講談社の雑誌が主舞台となる。1927年(昭和2年)から「少年倶楽部」に登場、1930年の『敵中横断三百里』で人気を博す(戦後に監督森一生、脚本黒澤明により「日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里」として映画化)。また『亜細亜の曙』『大東の鉄人』などの本郷義昭シリーズも広く知られる。

 東條英機(陸軍大将、内閣総理大臣、陸軍大臣、参謀総長)は山中と同じく原隊が近歩三であり、晩年まで親しい仲であった。1941年(昭和16年)に東條が陸軍大臣に就任すると、高名な作家となっていた山中は東條の「私的顧問」の役割を引き受け、例えば1942年(昭和17年)に刊行された『東條首相声明録 一億の陣頭に立ちて』(東條の訓示や演説をまとめた書)は「山中峯太郎 編述」となっている。なお山中は東條より陸士の2期後輩であるが、陸大は山中が明治43年12月入校(25期相当)、東條が大正元年12月入校(27期)であり、山中の方が2年早く入校している。
シャーロック.jpg

 戦後は公職追放指定を受けるも、1951年(昭和26年)解除。1948年(昭和23年)頃から戦前の冒険小説のリバイバル出版が始まる。その後も著作活動を続ける。好評を博したのは、少年向けに翻案したコナンドイルの「名探偵ホームズ全集」20巻(ポプラ社)。原作には、前後の辻褄が合わない、多くの矛盾が存在するが、山中はそうした所を修正や加筆を行って矛盾を解消し、物語としての完成度を高めているとのこと。(シャーロキアンである平山雄一氏の評)。これは2〜3冊讀んだ記憶があります。

 1962年(昭和37年)「文藝春秋」に中国革命時代の回想録「実録・アジアの曙」を椛島勝一の挿絵で書き、第22回文藝春秋読者賞を受賞。私は最近「Kindle本」¥200で読みました。中国人に扮し、捕虜になったりと、小説さながらのハラハラドキドキでした。
実録・亜細亜.jpg

 1966年(昭和41年)4月28日逝去・享年80歳。



この記事へのコメント

プロフィール

ニックネーム:
ろまねこ
性別:
出身地:
神戸
居住地:
藤井寺
趣味:
スケッチ、水彩、
読者メッセージを送る