【海外旅行】1997年レバノン・シリヤ・ヨルダン旅(7/15)

■第7日:4月9日(水) アレッポ→パルミラ

 アレッポの見所は市の中央にそびえる「城塞」。周囲2.5キロを深い空堀で囲まれ、45度の斜面を持つ丘の上に城壁をめぐらした立派なものである。

 紀元前10世紀に始まるといわれるが、現在残る城は12世紀から16世紀にかけて造られたもの。十字軍、モンゴル、チムールの侵略にも耐えた城である。200x300mの楕円形の城内には、色々な建物が残っている。

 城門の扉の金物彫刻や、イスラムでは珍しい獅子の石像彫刻、そして数多くの丸穴が星形にあけられたドームを持つ浴場はひときは印象的であった。挿絵は内部から天井を見上げた写真。
画像


 アラベスク木彫で飾られた立派な大広間は「トルコ」時代のもの。

 城塞から見おろしたところにある「ドーム」のある建物は現代の「浴場(ハンマーム)」と聞いたが、蒸し風呂か、温水浴かは判らなかった。(団体なのでちょっと確かめに寄ってみるわけにいかない)

 「国立考古博物館」の入口にある石造の「獣の上に立つ神像」3体(紀元前9世紀)は模造らしいが、なかなか迫力がある。
画像

 収蔵品も充実しており、美術全集などで見知っていて、今回行けなかった各地の出土品を多く見ることができた。

 12時アレッポを出て南へ、13時45分大きい水車で有名な「ハマ(Hama)」というところのレストランで昼食、「サジエ?」という米、ヨーグルト、羊肉ピスタチオ、カシューナッツなどがミックスされて金属の大皿に載ってきたのを取り分けて食べる。なかなか美味であった。
画像

 この食堂で、当地にいて「自衛隊員向けの資材や食料を日本から受取り、ゴラン高原の自衛隊に運んでいる」という男の人に出会った。

 『日本の自衛隊は後方支援のみで、イザと言う時には役に立たない、と現地の他の国連軍からは「一ランク下」に見られている。けっこう苦労しているのに報われることが少ない。自衛隊の方は気の毒だ。』との話し。

 こうして外国を旅していると、「国防問題を正視せず」「愛国心は悪いもの」といった「平和ボケ・国籍不明の日本人」になってしまっている「現在日本」を悲しく思う。

 水車を2~3見て、更に南へ、「ホムス」から道を東にとり砂漠の中を「パルミラ」に向かう。

 このあたりは、まだ旧式の住居が残っている。ドーム式屋根の一見、土の家。珍しいので、バスを停めて写真をとる。このドームやアーチの技術は、何故かここから西には伝わったが、東洋には来なかったというのは不思議。
画像

 何も無い砂漠に電線だけが人間文化を示している……と思っていたら、オレンジとグリーンの「標識杭」を時々見掛ける。これは、オレンジが石油パイプ、グリーンが天然ガスのパイプを埋設してある目印だそうだ。

 そういえば「パルミラ」近郊で「天然ガス」が発見されたと聞いた。砂漠ではあるが、この地下資源は有り難いことだろう。

 次は、ベドウイン(遊牧民)のテントを訪ねる。黒いテントの内部は「パオ」などと共通しており、派手な柄の絨毯が壁代りにつるされてある。
画像

 「パルミラ」の遺跡の傍で、マイクロバスに乗換える。遺跡を見おろす岩山に「アラブ時代の城砦」があり、ここで夕日(日没)を見ようというわけ。

 例の「日出日没時刻計算ソフト」では18時50分。城門到着は15分前。間に合った! 少し雲はあるが、真横からの光を浴びて、遺跡の列柱はオレンジ色に輝く。キレイ!キレイ!太陽が沈みきるまで15分は意外に長いものだ。

 ここで「関空出発のグループ」と会う。日本人に会うのはこれが始めて、こんなところへ「和装」で来ている「おばさん」に会ったが、いくらそれが慣れているからといって、着流しでは「ちょっとみっともない」と感じた。

 元のバスに乗換えて「シャムパレス・ホテル」へ。この門前に以前「温泉」が湧き「露天風呂」に入れたようだが、最近どこかに井戸を掘ったら水脈が変ったらしく、温泉は涸れてしまったという。残念なことだ。日本語で「アフカ温泉(イオン鉱泉)効用美肌」なんて看板が残っている。
画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

プロフィール

ニックネーム:
ろまねこ
性別:
出身地:
神戸
居住地:
藤井寺
趣味:
スケッチ、水彩、
読者メッセージを送る