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zoom RSS 【海外旅行】1966〜7年米国駐在記(8/16)

<<   作成日時 : 2019/05/17 06:29   >>

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 私は又、思いがけず結婚式にも招待されるチャンスをもった。私のアパートの管理をしていた45歳位の婦人で、お互いもちろん再婚という事であった。

 注)招待状。
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 当日その花嫁は赤なドレス、新郎は上が白、下が黒のタキシードで教会で式の後、おきまりの披露パーティになるのだが、それがまた、体育館を借り切った盛大なものである。といえばきこえは立派であるが、ガランとした建物の中に、テーブルを並べただけで、日本では余り聞いたこともないが、いわゆる結婚式場やホテルで一定の儀式のような形で行なわれる、われわれ日本の披露宴にくらべて、金はかけないが、客を実質的に楽しませるということで、合理性を感じた。

 なにしろセレモニーが全くなく、一隅に控えた楽団が何んとなく演奏を始め、テーブルのバイキング料理を誰となく喰ベ始め、急ごしらえのバーで飲み始め、踊り始めるのである。何かスピーチがないことには、格好のつかないわが国の風習にならされた身には、いささか気のぬけた感じが、しないでもないが、考えてみれば参会者には目的が十分わかりきった事なのだから、こんなやり方もリラックスで面白いと思う。

 ところが、私とH君はパートナーがいないので、ただ飲んで、食べて、眺めているだけであったのが、はた目に、物さびしく見えたのか、60をかなり過ぎたミセスがツカッカだったかヨタヨタだったか、ともかく私達に近づいてきて、相手を申し出てくれたのである。旦那というのがバーの方を手伝っているそうで、彼女も、無聊をかこっていたのかもしれない。はるばるデイトンまで来て、老婦人とダンスをする羽目になるとは、意外なめぐり合せではあるが、男2人野暮に突立っているよりはましと、私とH君が交替で相手をつとめることにした。ところが、思いのほか身のこなしが軽く、むしろそこらの若い連中より上手なので、面食らった。

 注)この時の踊りは「社交ダンス」で、ワルツとかタンゴとか。私も大学時代、同好会で少し習っていた。
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 「年をとっても、昔とったきねづか。……」というのはアメリカにも通用する、諺である。

 話は前後するが、11月24日は感謝祭で全米が休日、私とH君はパイレス氏(私達のパートナー)の招きで、彼の自宅を訪問した。彼は私とほぼ同年齢で奥さんと子供4人、それに母親の7人暮し、敷地150坪lこ二階建延50坪の家に地下があって、車庫(車2台)仕事部屋、物置になっている。
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 仕事部屋といえばデトロイトで訪問したM邸にもあって暗室に使ったり、子供の学校のバザーに出品するとかで、夫人がローソク等をつくっていたとかで引っくり返っていたが、パイレス邸のこの部屋も、のこ盤、かんな盤などの木工織械を備えてあり、レーシングカーや、つくりかけの本棚があって、なんでも好きなように散らかしぱなっしの出来る、いかにも楽しそうな大人の遊び場である。

 屋内は7〜8坪の居間につづいて食堂、キッチン、夫婦の部屋、子供部屋2、母親の部屋、予備室で、その他浴室、トイレがそれぞれ2カ所ずつ、これで大体2万5千ドル〜3万ドルという。私の推測では、彼の月収が1,200から1,500ドル位だから大体2年間の収入で、この程度の家が買えるのである。平均的なホワイトカラーの生活ではないだろうか。

 さてディナーはまずウイスキーから始り……、

 注)この頃アメリカでは食事中のお酒はで、ワインでなく、ウイスキーが一般でした。

つづいてクリームスープ(クラムチャウダー)が出たが、これが実に美味で、「招待されたら料理を賞めよ」の原則にしたがって、さっそく、こんな美味しいスープは食べたことがない、日本へ帰ったら家内に作らせたいから、是非伝受願いたいと、大いに賞めあげた。(満更お世辞だけでもなく本心でもあった)しかるにパイレス氏おもむろに曰く、その秘訣は、「缶の蓋を、あけることである」。
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 注)アメリカの料理はおおざっぱで、あまり美味しいものがないが、この「クラムチャウダー」だけは、美味しい。

 その後は、最もアメリカ的な七面鳥(ターキー)の丸焼きで、中にスタッフといって詰め物がしてあるのを、主人自らまるで、工作でもするように、電気包丁で切って、各々の皿に、盛りつけてくれる。
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 まだ生後6ヵ月の坊やを始め4人の男の子達は、別のテープルで食事をするのだが、しつけがよく行き届いていて、マナーが立派なのには感心した。

 しかしアメリカでも、一般的に子供の教育、とくに、ティーンエィジャーの非行化には、真剣な、なゃみがあるらしく、日本も同じだといったら、いや日本よりもっと悪い状態だということである。ところが、アメリカでもニューヨーク等の中国人街の子弟には、ほとんど非行少年がみられず、一体中国人(華僑)の家庭では、どういう教育をしているのか、大いに関心があるし、又見習いたいと、もらしていた。

 クリスマスイブに、私は、かつて来日したことのある、B社のD氏につれられて、バーを飲み歩いたが、何気なく飛び込んだ一軒は、それこそティーンエィジャーとおぼしき連中で満員であった。フットボールのユニホーム姿そのままのが、そうぞうしい限りで、首を突込むなり、D氏は、こんなところは直ぐケンカになるからと、そうそうに引揚げたのであるが、彼は今後もこの種のバーには絶対出入しないようにと、くどい程注意してくれた。

 バーの話が出たので、ついでにD氏の奥さんがアルバイトしている店を紹介する。夫人は週末だけそのバーでピアノを弾いているのである。おきまりのカウンターとボックス、その隅にピアノがあり、それをめぐってまたカウンターがある。サービスの女性といってもオバチャンが2人程、いうなれば食堂のウエイトレスと同じで、ただ酒を運んでくれるだけ、勘定は、その都度キヤッシュで払う。そのかわり値段も至って安く(たしか、ウイスキー1杯50セント位)居酒屋なみである。

 それでもピアノの伴奏で、好きな唄を歌ったり、踊ったり、見ずしらずの相客と冗談をたたき合わし、結構2〜3ドルで一晩楽しく過せるのである。アメリカ人にとっては、収入や、物価から考えて1ドル3百60円ではなく、百円位の感じになるのだから、うそのように安い娯楽である。もう少し高級なナイトクラブでも一人5ドル位でショーをみて楽しむことができ、日本のバーやクラブのような女性サービスを目あての遊び場所は別として、日本にもこのような安直なナイトクラブがあってほしいものである。

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