【海外旅行】1998年チュニジア8日間(3/11)

◎チュニジアって何処?

第2日 1998年2月12日(木)

 定刻どおりパリ・ドゴール空港着。オルリー空港への連絡バスは始発が6時だが、第2便の6時20分発まで、トランジットにある「エスパース(ビジネスクラス)」用の待合室を借りての時間待ち。

 ほんとの「エスパース」客が文句をいうのではないかと思うほど、他の日本人団体客も入って満席状態。コーヒー、ジュース、クッキーなどセルフで無料。

 空港間の移動はチャーターバスかと思っていたが、チャッカリ「無料バス」の利用だ。それにポーターも雇わず、バスの横腹へのスーツケースの格納/取り出しも女性添乗員の奮闘でこなすなど、相当な「合理化」である。
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 4時間ある乗り継ぎ時間も、入出国、移動(約40分)など、結構退屈しない。

 オルリーでは売店が開いている。見つけたときに買っておこうと「サッカー・ワールドカップ」のTシャツをあれこれ7枚買込む。案の定、帰りのドゴールでは、全然見当たらず、「先見の明」というところ。(^_^)

注)この1998年6月に「フランス大会」でしたが、もう前人気で、盛り上がっていました。挿絵はこの大会で採用されたトリコロール (TRICOLORE)という名の「サッカーボール」:赤、青、白からなるフランス国旗に由来しています。伝統的なフランスのシンボル雄鶏と、近代フランスのシンボル高速列車とタービンを融合したデザイン。
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 フランス・フランの持ち合せは無かったが「クレジットカード」が役に立つ。Tシャツ119フラン(¥2,500)×6枚、子供用99フラン、それにライター29フラン(¥600)×4個。

 今でも、年配者に多いが「クレジットカードは、お金を借りるということだから、恥ずかしい」という感覚で「クレジットカード」は持ちませんという人が居るのには「オドロキ」ですね……。

 8時日の出、8時30分発、AF3034便チュニス行きはボーイング737。また朝食が出る。2時間20分で午前10時50分到着。

 チュニス(Tunis)はチュニジア(Tunisia)の首都。郊外にカルタゴの遺跡がある。

 位置はアフリカ北岸、つまり地中海に面して、東からエジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコと並んでいる。丁度イタリアの長靴の先、シシリア島の南西対岸にある。緯度は首都チュニスで北緯37度、東京が36度だから似たようなもの。気候は秋から春にかけては東京より4~5度高い。
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 リビアとアルジェリアという物騒な国に挟まれている小国だが、政情は安定している。面積は日本の半分弱。人口は900万人弱。

 チュニジア、アルジェリア、モロッコの3ヶ国を「マグレブ(Maghreb)」という。アラビア語で「日の沈むところ」という意味だそうだ。アラビアから見てこちらは西になるので……

 北部は地中海性気候で緑豊だが南半分はサハラ砂漠。西側のアルジェリア国境のあたりにはアトラス山脈の端があるが、その他は高くても1500m程度の山しかなく、雪などは数十年に一度と行った具合で、長野オリンピックには参加していない。

 宗教は勿論イスラムだが、女性の地位向上に努力しており、他のイスラム諸国に比べると、町で女性の姿を見掛けることは多い。ホテルやレストラン、売店などにも女性従業員を見掛ける。

 ……とはいっても、町の「カフェ」などにたむろしているのは、99パーセント男性である。

◎チュニジアってどんな国?

今回の旅行の目玉は……

1.カルタゴの遺跡 2.その後のローマ・ビザンチン時代の遺跡
3.イスラム寺院(モスク) 4.アラブ風の旧市街(メジナ)
5.サハラ砂漠 6.ベルベル人の穴ぐら住居

 それを理解するには、ちょっと「歴史」を知っておく必要がある。

 「ベルベル人」というのは、この地の原住民であるが、今は混血も進み、ベルベルとしてのアイデンティティを持っているのは総人口の1パーセント程度。勿論、チュニジア国民として生活している。
 
 「ベドウイン」というのは人種に関係なく「移動牧畜民」のことをいうので、「ベルベル」と混同してはならない。

 紀元前10世紀頃から、今のイスラエルの北にある「レバノン」あたりに住んでいた「フェニキア人」が地中海に乗りだし、地中海沿岸の各地に拠点を作って貿易など活躍をしていた。その一つとして、ここチュニジアの海岸、カルタゴあたりに都市が出来たようだ。

 本国より力を増して発展を続けた「カルタゴ」は「ローマ」と衝突して、紀元前264年から紀元前146年まで3回にわたる「ポエニ戦争」で敗戦し、最後には町は徹底的に破壊され、塩を撒いて草も生えないようにされたという。

 その後「ローマ」がこの地を「アフリカ」の拠点都市とし、新生「カルタゴ」として栄える。2~3世紀頃初期キリスト教の教会が作られる。

 紀元439年、ゲルマンの一種「ヴァンダル族」がこの地を征服。このとき異教の神ということで、ローマの彫刻など、鼻が砕かれ、激しい破壊があった。
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 533年、東ローマ帝国(ビザンチン)が取りかえし、キリスト教時代が復活。

 647~698年、アラブ・イスラム勢力が侵入。王朝はいろいろ変るが、アラブの時代がつづく。

 1574年、「オスマントルコ」の支配を受ける。

 1705年、フセイン・イブン・アリ、チュニジアにフセイン朝を建てトルコに抵抗。近代テュニジア国家の始まり。

 1881年、フランスの保護領となる。

 1956年3月20日、独立。57年7月共和制発足、ハビブ・ブルギバ氏初代大統領に。59年6月共和国憲法制定。63年10月フランス軍完全撤退。

 87年11月ベン・アリ首相が2代目大統領に就任。その後2度の選挙で現在3期目継続中。任期は98年まで。

 注)当時の資料は見当たりませんが、2019年8月現在の外務省の「海外安全情報」によれば今回の旅行は「ほとんど「レベル1」、スベイトラだけが「レベル2」になっています。地図参照。
チュニジア危険度.jpg

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