【海外旅行】1992年スイス・イタリア4人旅(18/20)

【第20日】1992年(平成4年)10月6日(火) タルキニア→ローマ のつづき ITL100=¥12

 タルキニアからローマまで高速を利用して約60キロ。途中サービスエリアで「生ハムサンド」「玉子ツナサンド」「スプライト」LIT800、を買って車中で昼食。

 ローマ城外にある「サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(Basilica di San Paolo fuori le mura)」つまり「城壁外の聖パウロ大聖堂」に向かいました。

 観光名所の「バチカン」は「サン・ピエトロ大聖堂」。これはキリストの一番弟子、天国の鍵を貰ったという「聖ペトロ」の聖堂ですが、忘れてならないのは「聖パウロ」。この人は、はじめはイエスの信徒を迫害していましたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った人です。

 イエスの教えが「ユダヤ教」の一派として見られていましたが、「パウロの3回に及ぶ各地への伝道旅行」の結果、「キリスト教」という「世界宗教」に生まれかわったのです。

 聖パウロこそ「キリスト教の元祖」だと思います。ここ「聖パウロ教会」は一般観光からは外れていることが多いので、私たちも初めての訪問でした。

 立派な「聖堂」です。ここも私のつたないポンチ絵では表現しきれませんので、ウィキペディアから頂いた写真です。
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 城壁の外を東へ、「古代アッピア街道」へ。「すべての道はローマに通ず」のアレです。この道は南のアドリア海に面した「アッピア」まで、そこからは海上で、ギリシャやエジプトに通じます。
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 ここにある「サンカリストのカタコンベ」の見学に行きました。

 ローマ建築によく使われる天然コンクリートの材料である火山灰の採掘所を利用して、キリスト教の普及以前から使われていたローマ最古の地下墓所です。キリスト教徒がここへ逃げ込んで隠れ住んだとも言われています。

 ガイドツアーなので、雨をよけて待っていると、「韓国の団体ツアー」に間違えて呼び込まれ、一緒に見学の羽目に……(説明が韓国語なのでよく判らなかった)(笑)@6,000。
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 続いて、近くの「クオヴァディス教会」へ。ここは、聖ペテロが、ローマでの迫害から逃れようとしたとき、イエスと会い、イエスに「ドミネ、クォ・ウァディス?」("Domine, quo vadis?":主よ、どこへ行かれるのですか?)と尋ね、それに対しイエスは「エオ・ロマム・イテルム・クルキフィギ」("Eo Romam iterum crucifigi":ローマへ再び十字架に架かりにゆく)と答えた……とされる場所です。そして聖ペテロもローマへ引き返し、殉教した……とのことです。

 教会内に、大理石の表面が足跡型に凹んでいる「キリストの足跡」があります。
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 この後、ローマ都心に入り、市内観光にレンタカーは不向きなので、レンタカーを返しに行きます。途中でガソリンを満タンにして、「終着駅」のそばのAVISに。走行キロは1,035キロでした。

 タクシーで「パンテオン」の広場に面した「ホテル・セナート(SENATO)」まで、メーターはLIT6,400なのに、荷物が多いとか何とかいって、LIT12,000要求される。タクシーはいやですね。特にイタリアとか南仏では、悪質なのが多い。こちらは言葉が不自由なのと、習慣が判らないので、ぼられることが多いです。ホテル着17:40。
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 ローマは3泊です。エレベーターが故障で、スーツケース類はボーイが運んでくれる、すぐ治りました。夕食の為南の方にある「中華料理店」を目指しましたが、お休み。仕方なく、パン屋?さんでテイクアウト。海老サンド、ミックスサンド、コロッケ、青物店でバナナと生サラダ。
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 部屋食ですが、日本酒のストックがなくなり、義弟の買ったワインをワングラス頂く。19:30頃。食後私たちの部屋で明日の行動の相談。風呂は湯がぬるく、断念。(そんなに安くないホテルですが……一泊LIT182,000)22:30就寝。

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