【昔と今】お風呂

 物心ついた頃(昭和八年・一九三三年)は、古本屋をしていて二階屋でしたが、内風呂はなく「銭湯」通いでした。神戸では「銭湯」といわず「お風呂屋さん」といってました。今のように、蛇口から出る洗い湯はなく、湯船のぐるりに腰掛けられる段があって、手桶で湯船から湯を汲んで身体を洗う方式でした、男湯と女湯を区別する壁に処に「新鮮な湯だまり」があり、最後出るときには、そこの湯を汲んで、流し、手ぬぐいもその湯で洗って絞って、躯を拭いてあがったものです。
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 昭和一一年・一九三六年に、小学三年生になって引っ越した先は新築の二階屋商店作り(古着屋)ですが間口も広く、奥行きもありました。一階奥に主屋から離れ、廊下越しに浴室がありました。浴槽は木(檜か?)で「石炭釜」でした。浴室はタタキで、洗い場はすのこ。釜焚きは外から。浴槽の中に「上がり湯」部分がありました。
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 ここは一年半で、母が死に、それからは転々と借家住まいで又銭湯に逆戻り。

 終戦の年、姫路で空襲に会い、神戸の北、今の小野市、当時市場村池尻というところの「父の姉の嫁ぎ先」の家の「蔵の二階」にご厄介になりました。そこは近所から本家といわれていましたが、農家づくりで、土間の片隅に浴室がありました。ここは「五右衛門風呂」でした。燃料は薪だったようです。隣の「新宅」と交替で毎晩入浴していました。
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 五右衛門風呂は「石川五右衛門の釜茹での刑」からの連想でこの名が付いたようです。落とし蓋を踏みつけて入るのです。「東海道中膝栗毛」で弥次さん喜多さんが知らないで、蓋を取って、下駄を履いて入ったという「笑い話」で、子供の頃から知っていました。体験はこの時初めてでした。

 戦後、神戸に出て来て、借家住まい。銭湯。大阪から東京に出て来て、きれいな庭付きの借家は「内風呂」でした。その後自由ヶ丘の商店、小金井の住宅新築。この辺りは木槽で燃料は瓦斯に変わりました。

 定年退職後買った小平のマンションは「ユニットバス」スタイルで「ガス釜」は「いわゆるガス給湯器」で「隣接の押し入れのような処」におさまっていました。浴槽はほうろう?洗い場はタイルになりました。

 ここ藤井寺の姪の家も一〇年前の一戸建て建築ですから、方式は同様ですが、ゆったりして、テレビまでついています。今は妻も車椅子生活なので、姪の介助で二階からの上がり下りは腰掛け式の「階段昇降機」で、浴室では私の見まもりでの入浴ですが、毎晩の入浴が何よりの楽しみになっています。

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