アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「生活」のブログ記事

みんなの「生活」ブログ

タイトル 日 時
【昔と今】自家用車
【昔と今】自家用車  私は、結構早く「免許」を取りました。大阪から東京へ出て来て「貸本専門店」が当たって、おっちょこちょいの兄がまず免許を取り、車を買いました。私もそれに倣って、夫婦で多摩川河川敷の「東急自動車学校」へ通い、「自動車免許証」をとったのが昭和33年のことです。そしてすぐ買ったのが「ルノー」でした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/09/18 08:47
【昔と今】鞄類
【昔と今】鞄類  何かの物を「持ち運ぶ」というのを考えたとき、まず「包む」のは昔は「風呂敷」が結構万能的に使われていました、父が「何かを背中に背負って……」というのは殆ど、風呂敷。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/09/16 14:42
【昔と今】帽子(増補)
【昔と今】帽子(増補)  帽子についての思い出は、一番時代的に古いのが「父の鳥打ち帽姿の集合写真」です。父は明治24年(1891年)生まれで、これは「古手屋町の若者の団体慰安旅行」という話しですので多分年齢は20歳前後、そうすると明治末年か大正の初めの若者のファッションということになります。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2

2017/09/14 09:02
【男の台所】ガラス食器へのこだわり
【男の台所】ガラス食器へのこだわり  「赤いワイングラス」ご存知でしょうか。映画「旅情」でキャサリン・ヘプバーンが訪れる「ベネチアングラスの店」での「出逢い」に出てくる「グラス」です。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/09/12 09:25
【男の台所】食器へのこだわり
【男の台所】食器へのこだわり  だんだん足元が不自由になり、行楽や、お出かけグルメも出来なくなりました。それでも日々三食はきっちり戴いていますので、ちょっと食器などにはこだわってみたい感じがしています。本当はプラスチックにすれば、軽いし割れないのですが……。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/09/10 10:21
【雑感】スヌーピー
【雑感】スヌーピー  先日、東京在住の姪から突然贈り物が届きました。開けてみると、「ピーナツ」の(というより今は「スヌーピー」一族といったほうが判りやすい……)HAWAIIの文字が入った「トートバッグ」でした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/08/15 20:52
【昔と今】言葉
【昔と今】言葉  書き言葉としては、「候文」などが昭和でも使われていたことを先に述べましたが、一般文章としては「歴史的仮名遣い」と「現代かなづかい」(1946年/昭和21年)その改訂版「現代仮名遣い」(1986年/昭和61年)で大きく変わりました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/08/13 23:04
【昔と今】倉庫と物流施設
【昔と今】倉庫と物流施設  3月から通いはじめた「フィットネス型デイケア施設」。8人乗りのバンで自宅まで送迎付きなのです。参加者はご多分に漏れず、女性8割男性2割。したがって私は助手席に座ることが多いのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/08/09 10:41
【医療と健康】他にやっているストレッチ類
【医療と健康】他にやっているストレッチ類  とにかく、外に出て歩くことが少ないので、運動不足がちであることは確かです。クラス同窓会の招集をかけても大半は歩行困難、歩行不自由が欠席の理由です。内蔵の管理もさることながら、立ち居振る舞いの、手足の衰えが怖いです。少しパソコンの前が長すぎると、「肩こり」「腰痛」が出てきます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/08/05 13:04
【男の台所】キッチン最近の改善
【男の台所】キッチン最近の改善  なにしろ狭いキッチンなので、食器にしろ、食料品にしろ、置き場がなくって苦労しています。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/07/30 11:11
【健康と医療】冷え性と足指の痛み
【健康と医療】冷え性と足指の痛み  昨年の3月でした。足指が少し赤く、腫れ気味で痛いのです。数年前右足指先が痺れるような痛みがあり、東京の病院でのCT検査、診断結果は、軽度の「脊柱管狭窄症」ということで、手術をするほど悪くないので、経過を見るという事でおわっていました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/07/28 12:31
【健康と医療】ビーナスクラブ高鷲
【健康と医療】ビーナスクラブ高鷲  私は4年ほど前から「支援1」という「介護保険の認定」を受けていますが、いままで「介護施設」等とのお付き合いがありませんでした。しかし、昨年末「自動車の運転」をやめて、歩き始めると、今まで氣付かなかった「足のおとろえ」にビックリ。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/07/26 13:00
【昔と今】セメント工業
【昔と今】セメント工業  先日、TVで「ぶらタモリ/秩父」をやってました。私は長く「武蔵小金井」近辺に住んでいましたので、所沢から秩父方面は、車で行くと「裏山」のような感じで、何度か訪れました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/07/24 18:14
【雑感】ポンチ絵
【雑感】ポンチ絵  ブログ題名の「思い出」に相応しくない「最近の出来事や関連した感想など」を、取り敢えず【雑感】というカテゴリーにして、書くことにします。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2017/07/18 08:49
【昔と今】省庁の変遷
【昔と今】省庁の変遷  「内閣」は、行政権を担当する最高の合議体として、国会(立法)、裁判所(司法)と並ぶ憲法上の機関である。各省の長は「大臣」総括するのが「総理大臣」。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/07/16 08:46
【昔と今】絵ハガキ
【昔と今】絵ハガキ  「ヤフオク」で2000円で落札した「戦前の古はがき」、絵ハガキも10数点ありました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/06/10 09:19
【昔と今】広告ハガキ
【昔と今】広告ハガキ  「ヤフオク」で入手した「戦前のはがき200枚」。その中には「企業広告」のはがきもありました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/06/08 12:39
【昔と今】手紙文(候文)
【昔と今】手紙文(候文)  はがきについて、サイズを調べるため「ヤフオク」で入手したハガキを見てびっくりしたことがあります。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/06/06 08:46
【昔と今】はがき
【昔と今】はがき  ハガキについては「【昔と今】紙」の項で、サイズについて調べたのですが、現行の規定は、14.0〜15.4×9.0〜10.7cm、重量2〜6グラムの長方形。官製はがきは14.8×10.0cmとなっています。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/06/04 10:27
【昔と今】紙
【昔と今】紙  紙についての思い出は、小学校へ行き始めて、「ハンカチ」「鼻紙」といって常時持っていくことの「しつけ」(タマに検査がある)でズボンのポケット……多分左後ろのポケット……に「ハンカチ」と「鼻紙」を入れていたこと。それから何でも包む紙として「新聞紙」。便所へ行くと「灰色のチリメン紙」の「落とし紙」といったところでしょうか。これは「ティッシュペーパー」や「トイレットペーパー」というモノに替わってしまいました。新聞紙は包むモノでなく荷造りの時「クッション」に使われていますね。「百均」では壊れ物を包む紙と... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/06/02 10:06
【昔と今】祝祭日
【昔と今】祝祭日  これは大まかに言って、戦前戦後で別けられると思います。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/05/31 14:09
【昔と今】ミネラルウォーター
【昔と今】ミネラルウォーター  【昔と今】というカテゴリーですが、戦前は水を買った覚えがありません。水を買うというのは、初のヨーロッパ旅行一九七二年(昭和四七年)の「アテネローマ」からです。アクア・ミネラーレで「ノンガス」と「コンガス」(炭酸ガス入り)の「ミネラルウォーター」です。外国では「水道水の水を飲んでは駄目」といわれ、レストランでもワインに近い値段で「水」を注文することを覚えました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/05/28 20:09
【昔と今】上水道
【昔と今】上水道  「水と空気はタダみたい」「日本人は水と安全はタダと思っている」……とそういう時代がありました。少なくとも昭和の初めから戦後まもなく迄は……。時代小説を読むと、江戸時代、深川では、飲み水を買っていたようですね。勿論「昭和」でも水道代はタダではありませんが、他の物価に比べれば安かったのです。資料によると東京で一家五人まで月九〇銭とあります。カレーライス一〇銭〜二〇銭。阪急定食五〇銭の頃です。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/05/27 07:28
【昔と今】石鹸
【昔と今】石鹸  洗濯石鹸は、昭和10年頃「マルセル石鹸」というのがあったのを覚えています。あとになって「マルセル」はフランスの「マルセーユ」のことだと知ったのですが。フランス到来の高級石鹸をイメージした名称で、フランス製ではなかったようです。今ネットで見ると「ミヨシ・マルセル石鹸」というのが健在のようですね。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/05/25 10:59
【昔と今】パン
【昔と今】パン  こどもの頃(昭和10年代)三度の食事にはパンはありませんでした。神戸の上筒井ににパン屋さん「ハイカラ堂」があったことは覚えていますが、「ジャムパン」「クリームパン」「サンドイッチ」位しか覚えていません。食パンのトーストは戦後の経験か?…… ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/04/07 10:34
【昔と今】時計
【昔と今】時計  少なくとも戦前の家庭では、柱時計が一つ。目覚まし時計が一つ。中学生になると腕時計を買って貰えたかな?という、のどかな生活でした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/04/05 14:44
【男の台所】キッチンの常備食料品
【男の台所】キッチンの常備食料品  前回に続いて、こんどは常備してある「食料品」をしらべてみました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/03/30 11:02
【男の台所】キッチンの常備調味料
【男の台所】キッチンの常備調味料  キッチンにほぼ常備してある「調味料」をしらべてみました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2

2017/03/28 20:02
【男の台所】我が家の朝飯レシピ
【男の台所】我が家の朝飯レシピ  我が家の朝食は、その昔(昭和時代)は、「ご飯、味噌汁、焼鮭、玉子焼き、漬物、焼き海苔」と、ホテルや旅館の「朝定食」と同じような献立が続いていました。平成に入っても「塩鮭」が「鰺の干物」か「小鰺のみりん干し」に変わったぐらいでした。昭和50年代に「新鮮野菜ジュース」が加わりましたが、ずっと和食でした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/02/20 10:39
【男の台所】食器の今昔
【男の台所】食器の今昔  これは戦前うんぬんでなくて、小金井・小平時代までのモノの思い出です。収納も余裕があり、又自宅にお客を呼ぶことも結構ありましたので、洋食器は6客セットで、イタリアへ行くたびに少しづつ買いそろえた「リチャードジノリのベッキオホワイト」というシンプルな無地物でした。  ナイフ/フォークはフランスパリの「クリストフルのマルメゾンシリーズ」を、やはりパリへ行くたびに、6客分2種類ぐらいづつ買い揃えました。パリのお店では12客用の「チェスト」しかなく収納に困っていましたが、東京三越だったか高島屋に6客用... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/02/18 09:09
【男の台所】キッチン備品の今昔
【男の台所】キッチン備品の今昔  おおざっぱに、戦前戦後という感じで眺めて見ましょう ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/02/16 07:13
【男の台所】キッチンの備品
【男の台所】キッチンの備品  あらためて「キッチン」の備品類を並べて見ましょう。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/02/14 10:44
【男の台所】キッチン事情
【男の台所】キッチン事情  勿論、現役時代は、妻がすべて取り仕切っていてくれましたが、定年後数年して、退屈なので、炊事はボクが担当、掃除洗濯は妻に任せる……というのを始めました。 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/02/12 08:31
【パソコン通信】PC-VAN初お目見え
【パソコン通信】PC-VAN初お目見え  当時既に色んな「パソコン通信」の会社がありましたが、やはりパソコンがNEC製なので、迷うことなくNECの「PC-VAN」を選びました、現在の「Biglobe」です。なんとか電話線を介してつながりました。一九九〇年(平成二年)三月一三日のこと。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/10/21 11:26
【日記】退職三年目1990年(平成二年)
【日記】退職三年目1990年(平成二年) ●年賀状の数、発来信共に120通前後。 ●パソコンは「記帳面」(会計)「日記」「アシストカルク」で住所緑を始める。 ●2月15日〜21日車で関西旅行。友人親戚宅訪問。伊勢神宮参拝。 ●3月10日〜12日網干教室スケッチ合宿(南房総白浜)。  合宿で描いた絵。習い始めて一年経った頃の絵です。恥ずかしい ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/10/19 10:02
【パソコン】パソコン事始め
【パソコン】パソコン事始め  退職後、パソコンが欲しくて、参考書、雑誌などを読みあさり、結局一年後、一九八九年(平成元年)八月一二日東京秋葉原の「シスペック」というお店で、以下全部一式で\959,960で購入しました。(シスペック:パソコン専門店で結構手広くやってましたが二〇〇〇〜二〇〇一年頃に閉店したようです) ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/29 08:32
【日記】退職した翌年一九八九年(平成元年)
【日記】退職した翌年一九八九年(平成元年) 【お知らせ】「昭和の思い出」について、数点の「絵」と「写真」資料が、最近見つかりましたので、それぞれの項に追加しました。(二〇一六・九・二二) ★(二〇一六・五・八)「カメラとムービー」……「生活写真」二点。 ★(二〇一六・五・一二)「軽井沢の貸別荘」……「正田美智子さんの写真」 ★(二〇一六・六・一九)「アメリカ駐在」(二)……「油絵」二点(自画像)(アパート) --------------------------------  一月七日昭和天皇崩御。翌日から年号は平成に。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/23 00:27
【日記】退職した年、その暮れまで
【日記】退職した年、その暮れまで  退職した年は、いろいろと忙しい年になりました。以下、日記帳などを見ながら、辿ってみます。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/21 11:10
ブログの「これから」について……ご挨拶
ブログの「これから」について……ご挨拶  昨年五月から始めましたこのブログ、今までは一貫して「昭和の思い出」ということで、出来るだけ「時系列」に沿って記述を進めてきました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/09/21 10:44
「天皇陛下崩御」のこと
「天皇陛下崩御」のこと  昭和天皇は、昭和六二年九月の膵臓癌の手術後、一時回復され公務に復帰されましたが、昭和六三年九月、吐血があり、その後は陛下の御容体が新聞に毎日報じられるようになりました。「下血」という字をたいへん痛ましく感じました。  年開けて、昭和六四年一月七日、とうとう崩御の報道に接しました。宝算八七歳。  昭和の戦乱の詳細ないきさつは、複雑でよく判りませんが、私は「天皇」は「立憲君主」であり「戦争責任」は「補弼の臣」にあると思います。  戦後は「人間宣言」をされましたが、いろいろエピソードを伺うにつ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/19 10:07
「常務取締役退任」のこと
「常務取締役退任」のこと  九年間の取締役の後、昭和六〇年六月、常務取締役企画部長を仰せつかりました。経営の多角化、新しい分野への参画、など企業としては立ち止まっていられません。とはいうものの模索と試行錯誤の明け暮れでした。  昭和六一年には、T社は念願の「東証一部」上場も果たしました。  T社では内規で「常務取締役は満六二歳をこえない」となっていますので、昭和六三年六月の株主総会ではその上の「専務」にならないかぎり退任となります。  どうやら「専務」にはなれそうもない雰囲気で、子会社の社長に転出だろうと想定して、... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/17 10:46
「ハレー彗星を撮影」のこと。
「ハレー彗星を撮影」のこと。  あれは昭和六一年(一九八六年)三月のことでした。ハレー彗星は、約七六年周期で地球に接近する短周期彗星ということで、次回は二〇六一年夏とのこと。  当然我々は生きていないので、何とか今回、肉眼か望遠鏡で見られないかな、撮影できるといいなと思っていました。  一月頃から夕方の西の空に現れたと報ぜられましたが、なかなか見るチャンスがありません。近日点を通過して今度は明け方東南の方角に見えるということです。  三月二〇日の夜。明日はお彼岸でお休みだし、天気はよさそうだと。妻を横に乗せ小金井の自宅... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/15 08:34
「セントアンドリュースでゴルフ」のこと
「セントアンドリュースでゴルフ」のこと  残念ながら、私ではなく妻の話。一九八五年(昭和六〇年)五月一七日のこと。  妻が地域(小金井)でやっていたゴルフ同好会「フラウエンクラブ」のメンバーの一人が、旦那の転勤で「ベルギー駐在」に……その彼女を訪問することも含め、ゴルフ仲間女三人で、オランダ・ベルギーとイギリスへ旅行しようということに。  妻はだいぶ海外旅行ズレしていましたので、戦時中の女学生なので英語もあやふやですが、若いのを二人案内して、汽車、バス、船を乗り継いでB&Bに泊まるといった旅を企画しました。  出来れば「セントア... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/13 10:03
「パソコンとワープロ」のこと
「パソコンとワープロ」のこと  私とキーボードの出会いは、昭和四一年の「米国駐在」のための準備室勤務になったときです。米国S社との手紙のやり取り、カタログ資料の整理などで、英文タイプライターをポチポチ打ち始めました。  ところが、教本通りの「ブラインドタッチ」というのをやってみましたが、小指が特に左の小指が「a」を叩くので、これはキビシイです。いまのキーボードのような軽いものではありません、このキーで頭に活字の付いたレバーを動かして、カーボンテープ越しに紙に印字する仕組みですから、すごく力が要るのです。すぐ筋が痛くなって、... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/11 09:20
「長兄の羅漢像彫刻」のこと
「長兄の羅漢像彫刻」のこと  長兄は、晩年「京都」で過ごしました。「愛宕(おたぎ)念仏寺」で西村公朝師が指導して「素人が羅漢像を彫刻奉納する」というのに参加して二体彫り上げました。三〇センチ角高さ六〇センチくらいの「大谷石」(やわらかい)の角材を与えられ、週一回、半年ほど通って彫り上げました。  当初五〇〇体の予定が一二〇〇体になったそうです。長兄はその後数年で亡くなりましたが、今も苔むして「羅漢像」は残っています。   前にも述べましたが、器用な人で、この羅漢像、一体は自分の職業に合わせて「三角定規とコンパス」を持っ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/09/09 08:38
「ムービー編集」のこと
「ムービー編集」のこと  8ミリフィルムの時代は、切ってつなぐだけでした。バックミュージックをテープに収め、上映時に同期させるような工夫もしました。スーパーになってからフィルムのわきに細い磁気録音が出来るようになりました。  メインタイトルやエンドタイトルは、静止写真に文字を描いて、それを8ミリで写します。地名や名前などをスクロール表示するため、透明セロファンに転写文字(レタリング)を貼り付け、静止画像の上を「テープレコーダー」の動力を利用して滑らせなから8ミリで撮影するといったこともしました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/07 09:13
「シフトレンズ」のこと
「シフトレンズ」のこと  「ロマネスクの教会」の写真を撮り始めると、近くから教会堂全部を撮るために「広角レンズ」が欲しくなりました。それでも上を向いて撮ると、上の方がすぼまって写ります。  「シフトレンズ」というのがあると知りました。一五万円ぐらいしたと思いますが思い切って買いました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/05 11:35
「暗室でカラー作業」のこと
「暗室でカラー作業」のこと  家庭暗室でカラーは無理と思っていましたが、暗室を作った翌昭和五九年春、フィルム現像は無理でも、引伸ばし焼き付けは出来そうだということで挑戦。  処理液はフジフィルムの「フジカラーホビー処理剤」というのを買い、別に買った「ドラム式の現像装置」(モーターベースの上に現像ドラムを置いて回す・結構高かった)を使って「現像」「中間水洗」「定着」とそれぞれ「規定の時間」ぐるぐる回し、そして液交換。それをテストと本番。それはそれは面倒なものでした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/03 09:24
「写真暗室」のこと(二)
「写真暗室」のこと(二)  アルバムの説明文字、写真の中に文字を入れる、カレンダーのようなのを作る。自分で書くのは下手なので、工夫が要ります。  インスタントレタリング(略称インレタ)という一文字づつ「写し絵」する方法で文字をならべます。英数字だけで、日本語はほとんど使いませんでした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/09/01 08:41
「写真暗室」のこと(一)
「写真暗室」のこと(一)  石造美術やロマネスクの教会の写真撮影を始めて見ると、どうしても自分で現像と焼き付け、とくにトリミングしての大判「引伸ばし」ができる「自家暗室」が欲しくなってきました。  幸い我が家は、新築当時三割の建ぺい率だったので、土地に若干の余裕がありました。物置を壊し、そこへ炊事場から直結の「暗室」を作りました。一坪強というサイズです。  「流し」は市販のモノはサイズが思ったように出来ないので、「T社外注先」に特にお願いして、一〇ミリ厚のプラスチック板を接着して設計図通りのモノを造って貰いました。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/30 09:58
「商法改正・株主総会」のこと
 昭和五六年七月。約四年間の土浦工場長勤務から、三鷹本社に戻り、総務部長兼社長室長となりました。  大きい会社では、法務、庶務、人事と別れているところが多いですが、T社ではすべて総務部で処理しました。  ご近所つきあいも仕事の一つです。警察署、消防署なども何かと、連絡や会合がありました。  初めて警察署の上階に訪れたとき、刑事らしい人が往来している雰囲気は、少し気味悪かったことを覚えています。  昭和五六年、商法改正になり、昭和五七年一〇月施行で、翌昭和五八年六月の「株主総会」の準備が大... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/28 13:44
「健康と医療」のこと
 今まで生きてこられたのは、やはり「現代医療」のおかげです。でも考えてみますと、殆ど「平成」になってから「お世話」になった感じです。  昭和三四年。T社に就職して三鷹の「会社嘱託医」に見て貰ったら、少し血圧が高いといわれました。子供の時からやや「肥満体」だったので、まあ当然かと。でも土浦赴任の四年間に掛かった医者は薬不要ということでありました。  土浦工場時代は、一時ダイエットに励み、ウエストを毎日量って、グラフにつけていました。ヘソまわり一米前後でしたが、一センチの増減が体重一キロの増減... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/26 09:34
「昭和五〇〜六〇年代・歌謡曲」のこと
●北の宿から:あなた 変わりはないですか(都はるみ) ●夢追い酒:悲しさまぎらす この酒を(渥美二郎) ●おもいで酒:無理して飲んじゃ いけないと(小林幸子)  以上三曲。私が土浦工場長で赴任した頃。納涼大会、慰安旅行、その他夜のお付き合いでは、何か唄わなければならないので、テープで懸命に練習しました。懐かしいです。そのうちに「カラオケブーム」と言う時代がきました。 ●北国の春:白樺 青空 南風(千昌夫)  平成になって中国旅行に行ったとき、現地のガイドが唄っていて驚きました。 ●さ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/24 10:50
「昭和五〇〜六〇年代・世の出来事」のこと
●ベトナム戦争終結(五〇・四・三〇)  北ベトナム軍の戦車がサイゴンの大統領官邸に突入。事実上この日を以て、終戦直後から始まったフランスとの「第一次インドシナ戦争」につづくアメリカ介入の「ベトナム戦争」がやっと終わりました。 ●ロッキード事件(五一・二・二四)  旅客機の受注に絡んだ汚職事件。田中総理の有罪判決(最高裁判決前に死亡したので公訴棄却)。児玉誉士夫、小佐野賢治などの名も。また「アメリカ陰謀説」などもささやかれ、問題点の多い事件でした。 ●第二次オイルショック(五四)  同年... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/22 11:11
「妻のガラス工芸教室」のこと
 妻は何としても自分で「ステンドグラス」を作ってみたい……と、いろいろ教室や工房など探し歩きました。「職業別電話帳」を繰って、東京中野の方に「工房」を見つけ、訪問しましたが、御弟子さんは取るけど、お教室はやっていないとすげない応答で門前払い。  そうこうしているうちに「新宿住友ビル」の「朝日カルチャーセンター」で由水幸雄先生をはじめ錚々たる講師陣で「ガラス工芸教室」が始まるというニュースを聞き、調べると、カットとか、サンドとか、ステンドも教えるとのこと。  妻はこれに飛びつき、昭和五三年四月... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/20 08:42
「妻のゴルフ同好会」のこと
 妻は、昭和五二年一一月、小金井市主催「市民婦人ゴルフレッスン」(第六期)に参加しました。一二月には、自主グループ「フラウエンクラブ」というを結成、発足。   妻は腕前ではなく、年長ということでしょう「会長」に祭り上げられ、平成になってから隣町の小平市に越しましたが、引き続き一昨年東京を離れるまで、お世話を引き受けていました。わたしも及ばずながら、会員名簿や案内ハガキの作成などお手伝いしました。  何と最初は五二名も集まり、四班に分けて連絡網を作り、週一回「ゴルフ練習場」に集まり、年二回のゴ... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/18 10:22
「ほあぐらの美の世界紀行」のこと
 「ほあぐら」さんは、先に述べた「我が生涯の友」Aさんのニックネームです。平成になってからの話しですが、私が入っていたNECの「パソコン通信」というのに誘い込んだ時からのニックネームで、Aさんの旦那さんが「ほあぐら」で奥さんが「とりゅふ」というわけです。  その彼が作っている「ホームページ」が「ほあぐらの美の世界紀行」というのです。 内容は●ロマネスク美術巡礼(一〇五七)●日本庭園紀行(三五一)●石造美術巡拝(六一二)●古代巨石遺跡探訪(一五〇)の四篇からなる、膨大な「美術写真全集」です。(... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/08/16 13:37
「私の石造美術散歩」のこと(九)スペインの石鉢
 今回登場するのは、我が家にあるヨーロッパ石造美術品である。  日本のあるアンチークの店先に置いてあった。毎年のように、ロマネスクの石造美術をたずねてヨーロッパを遍歴している私にとっては「まさかこんなところに」という驚きと「高いのかな?」というためらいがあったが、意外、数万円也。値切ってはみたが、ほれた弱み、特価という名の正札で買い取る羽目になった。  直径五〇センチ、高さ六〇センチ、上部の丸鉢と下部の台とは分離でき、上下の色とサイズが微妙に食い違っている。ひょっとすると、スペインの教会廃墟... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/14 09:01
「私の石造美術散歩」のこと(八)二十三夜塔
 旧暦二十三日の夜に講中が集まり、勤行・飲食を共にし、月の出を待つ行事を二十三夜の月待(つきまち)という。  月待の行事は十三夜から二十九夜迄、ほとんど毎夜あるが、その中でも二十三夜が最も普遍的で、供養のしるしに造立したのが二十三夜塔である。男だけの場合もあるが、逆に女性ばかりの女人講も多かったようである。  月は勢至菩薩の化現であると説く経典があり、その勢至の有縁日が二十三日なので、二十三夜月待塔が多いといわれる。  現在最古とされているのは、嘉吉元年(一四四一)室町時代にさかのぼる。 ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/12 08:52
「私の石造美術散歩」のこと(七)庚申塔(こうしんとう)
 八王子市陣馬街道近くの下恩方町にある、写真の庚申塔は天明三年(一七八三年)のもので、彫りが深く美しい。  中国の道教の経典に「庚申(かのとさる)の日の夜に人間の体内にいる三尸(さんし)という虫が、寝ている間に抜けだし天に昇り、天帝にその人の罪状を報告し、それにより天罰が下るので、それを防ぐためその日(六〇日ごとにくる)は徹夜で起きておればよい」と書かれている。それが奈良時代に日本に伝えられ、仏教色が加わり、「庚申信仰」となった。  「庚申待(こうしんまち)」といって、本尊をまつり、徹夜して... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/10 09:29
「私の石造美術散歩」のこと(六)銭謹金神
 「せんきんこんじん」と読むのであろうか、銭をつつしむとは、倹約のことらしく、そして金を貯めたいという願いを込めた像といわれている。本来金神(こんじん)は陰陽道でまつる金気の精で、殺伐さを好む恐るべき神であるが、これは穴明き銭を両手に持った可愛い石像である。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/08/08 12:37
「私の石造美術散歩」のこと(五)ロマネスク柱頭彫刻
 ヨーロッパの中世美術は、一一〜一二世紀にロマネスク様式が栄え、その後ゴシックの時代に移って行く。  このロマネスク芸術はフランスを中心にヨーロッパ各地に広がったもので、古代ローマの諸要素を復活させると共に、東方芸術(ビザンチンなど)の影響を受けついだ様式で、また土着芸術をも取り入れ、個性豊かな地方色がみられる。  今に残るものとしては、石造の教会建築、それに付属する各種彫刻、壁画などがある。  写真のものは、フランス中部オータンの町にある教会内部の石造柱頭彫刻である。柱頭とは文字通り柱の... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/06 15:20
「私の石造美術散歩」のこと(四)日本最古の石仏
 日本書紀によると、百済から弥勒菩薩の石像を請来したのが敏達天皇一三年(五八四年)で、わが国石仏のはじめとされている。しかし、現在最古の遺品と考えられるのは、奈良県桜井市の石位寺の三尊仏(写真)である。   これは奈良前期八世紀頃のものと推定されている。高さ一・二米、丸みのある三角形の砂岩を選び,如来を中心に菩薩を侍立させた半肉彫りである。頭上に天蓋があり,光背は二重円、それぞれ蓮華座の上に足を置いている。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/04 09:02
「私の石造美術散歩」のこと(三)板碑(いたひ)
 板状の石に仏の種子(しゅじ)(仏名を梵字の頭文字でその仏を表す)を刻んだものを板碑という。仏像を浮き彫りにした画像板碑というものも、わずかながらある。  全国的に分布しているが、秩父で産する緑泥片岩を用いた青色板碑は関東だけに見られ、鎌倉中期から室町初期の二百年間だけ作られた。建立の目的は主に供養塔で、その趣旨が下部に刻まれている。  大きさは高さ五〇センチ位から三米近いものまであり、薄く細長いため折損し易く、また小川の橋にされたり、小さく割って家の柱基礎に使われたものも多い。  写真は... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/08/02 09:15
「私の石造美術散歩」のこと(二)五輪塔(ごりんとう)
 五輪塔は、仏典に「地は方形、水は円形、火は三日月形、風は半円、空は団形」と述べられ、宇宙はこの五元素からなるという思想を具現したものといわれている。絵の五輪塔は大陸にもあるが、立体的な塔となったのは我が国らしく、中国や朝鮮では発見されていない。下から地輪(基礎)、水輪(塔身)、火輪(笠)、風輪(請け花)、空輪(宝珠)と呼ばれる。  五輪塔の最古のものは、銅製で京都上醍醐にあり、応徳二年(一〇八五年)平安後期のものである。石造五輪塔はそれより八十四年後の仁安四年のものが岩手県平泉の中尊寺境内に... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/31 08:38
「私の石造美術散歩」のこと(一)双体道祖神
 ここから九回にわたって、T社社内報に昭和五五年から二年間、連載していたものを転載します。A夫妻と共に探訪した「石造美術」の「紹介・解説」です。  挿絵の原形はモノクロ写真ですが、カラーの絵にしてみました。  道祖神は日本古来の性器崇拝と、中国伝来の旅の神とが一緒になったものといわれ、縁結びの神、悪神を追い払う境の神、旅の神として路傍、神社の境内、村のはずれなどに見受けられる。  自然石、文字を刻んだもの、祠(ほこら)形など全国に分布しているが、男女像双体のものは、長野、群馬、山梨、静岡あ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/29 08:47
「初ロマネスク探訪旅行」のこと
 Aさんに「フランスロマネスクの珠玉写真集」を見せたところ、「目の色」が変わりました。 これは是非訪れたい……一緒に行きましょう……と相談まとまり、ガイドブックなどを探し求めました。鹿島出版のSD選書「ロマネスク上下」アンリ・フォション著。美術出版社「ロマネスク美術」辻佐保子訳。学研の「大系世界の美術〈一一〉ロマネスク美術」など探せばあるものです。  そして神田三省堂あたりで「ミシュランの分冊フランス道路地図」二〇万分の一。一センチ/二キロ。これはレンタカーでの旅には欠かせません。今回はマルセ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/27 13:07
「ロマネスクとの出会い」のこと
 私の引退後の生活は「ロマネスク美術」鑑賞のヨーロッパ旅行が大きい分野を占めています。ニックネームの「ろまねこ」もそれを現しています。  昭和五三年末、近畿日本ツーリストの「ホリデー・パリ・フリー一〇日間」を利用して、私と妻だけのレンタカー「フランスノルマンディの旅」でした。今回は以前の「ミッテンバルト」での宿泊不能事件に懲りて、レンタカー・ホテルとも予約していきました。  ……といっても、まだFAXもなくインターネットもない時代。旅行代理店もパック旅行のみで、ホテルの予約までしてくれません... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/25 15:49
「石仏・双体道祖神」のこと
 Aさん夫妻とは、お互いの家訪問や、彼女の踊りの発表会お付き合いなど、年数回の交流でしたが、知りあって二年後昭和四九年年末に、私が土浦工場勤務になり工場長として単身赴任したことから、茨城の石仏巡りが発端で、関東一円の道祖神、板碑などの石造美術を訪ねる旅が始まりました。  Aさんの彼の方は、大学時代から「日本庭園」に興味を持っておられたようで、「庭」というのは「石組み」が基本とかで、とてもその方面の造詣が深い方です。その彼の発案による土浦近くの社寺探索が発端です。  昭和五〇年のゴールデンウィ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/07/23 10:35
「取締役就任/土浦工場長」のこと
 T社も、一本調子に大きくなった訳ではありません。昭和四八年の第一次オイルショックの影響を受け、昭和五〇年には人員整理や、外部からの経営陣の強化など、再建策が実行されました。  私にとっては、すぐ上の部長クラスが、責任を取って辞職する中、昭和五一年六月の株主総会で、取締役に抜擢される運に恵まれました。  その年の暮れから「土浦工場長」として、土浦市内のアパートを社宅とする「単身赴任生活」が四年間つづきました。  「単身赴任」とはいえ、毎週月曜日三鷹本社で「常務会」という名の役員会に出席のた... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/21 09:13
「昭和四〇年代・歌謡曲」のこと
●悲しい酒:ひとり酒場で 飲む酒は(美空ひばり)  古賀メロディー、ギター伴奏のこの歌は、私の一番好きな曲です。 ●ブルーライトヨコハマ:街の灯りが とてもきれいね(いしだあゆみ)  ハイカラな歌です。スレンダー美人。カワイイ感じでした。このあと「女優」としても活躍されましたね。痩せた美女「ツイッギー」が評判になったのもこの頃。 ●池袋の夜:あなたに逢えぬ 悲しさに(青江三奈)  「ため息路線」と言われた、ムード歌謡。青江三奈さんとは新宿伊勢丹の「レディスポーツファッション」のコーナー... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/19 08:51
「昭和四〇年代・世の出来事」のこと
●学園紛争  昭和四三年から四四年にかけて、日大をはじめ諸大学で経営陣や教授陣に改革要求を突きつけ「ストライキ」や「大衆団交」など、平常の授業が行えないような状態が続きました。東大の「安田講堂占拠」は「警察機動隊導入」の事態になり、昭和四四年度の「東大入試中止」につながる異常事態でした。 ●月面着陸(四四・七・二〇)  人類史上初の月面着陸は、米国のアポロ一一号でした。宇宙開発もここまで来たかという感激でした。四七年まで六回計一二名が月面に降りたそうです。 ●大阪万博(四五・三〜九) ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/17 10:10
「出会い」のこと
 「三度目のヨーロッパ」昭和四九年末〜五〇年初の旅行では、もう一つの「出会い」がありました。  後半生「生涯の友」となったAさん夫妻との出会いです。  パリに着いた翌日だったか?ホテルロビーで添乗員に「スペインから帰ってくる日にレンタカーをこのホテルで代わりに受け取っておいて欲しい」とか、いや昔のことですからハッキリ記憶していませんが「添乗員」に無理なこと頼んでいる夫婦がいるな、と思ってみていました。  その翌日出発したと思ったその夫婦が朝食のレストランに来ているではないですか。聞いてみる... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/15 08:43
「海外旅行でのトラブル」のこと
 「アテネ・ローマ」に味を占めて、翌昭和四八年末は「ルック・ヨーロッパ・パーソナル一二」でパリ・ジュネーブ・ローマ二七万五千円。この時から、アンカレッジ経由となり所要時間一九時間(南回りに比べ五時間短縮)。  三度目のヨーロッパは昭和四九年末「パリパーソナル一二」というので、二六万五千円。パリのホテルは到着日と帰国前の二〜三日だけ泊まって、中八日間は二人で単独手配した「ベネチアーインスブルクーロマンチック街道ドライブ」という計画。無謀にも、ホテルやレンタカーなどを予約していくという考えはなく、... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/13 11:19
「弟の死」のこと
 昭和四八年一〇月、弟が三七歳の若さで亡くなりました。  昭和一一年二月、神戸市灘区で生まれた彼は、一歳半で母を亡くしましたが、幸いにも伯母が引き取って何不自由なく育ててくれました。父はその後再婚しましたが、この弟は神戸高校卒業まで伯父伯母のもとで育ちました。二年浪人して、慶応商学部に入学、一時私の家に寄宿し、父が東京へ居を移したときから、父のもとに戻りました。  すごく人なつっこい性格で、大学では「ワンダーフォーゲル部」で活躍して、結構いろんな山に登っていたようです。「ガンさん」とあだ名さ... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/11 09:42
「初の海外観光旅行」のこと(二)
 昭和四八年一月二日は、午後イタリアのローマに移動。三日は早朝から夕刻まで市内観光。夜、希望者だけオペラ座でロッシーニの歌劇「シンデレラ」。三階席でしたがこれも「ヨーロッパ劇場初体験」。四日は「ナポリポンペイ」オプション参加。  五日は自由行動ですが、一一人同じ列車で「フローレンス」(当時は「フィレンツェ」でなく英語読みでした)日帰り。帰りはバラバラ。  切符は、口頭では誤解を招くので「紙に書いて」窓口で買いました。  ローマ発〇七:二五ーフローレンス着一〇:四〇。急行ロムルス号。 一人... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/09 15:47
「初の海外観光旅行」のこと(一)
 夫婦で出掛けた海外旅行は平成を含め、ほぼ一〇〇回近いですが、初体験は昭和四七年年末でした。  会社勤めで「管理職」ともなると、有給休暇を使って一週間以上会社を休んで旅行に出掛けるなんてことはできません。  幸いに私の会社は「製造工場」で「労働組合」と話しあって「年末年始」は連続一〇日あまりになることが多かったので、現役時代はその時が唯一の「海外旅行」チャンスでした。  年末二八日出発、一月八日月曜日帰国というプラン。初出勤の日は欠勤になりますが、幸い「部次長」というスタッフの身の上、見逃... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/07 09:49
「中国工業展出張」のこと(二)
 大宴会が三回。記録を見ると六月一八日「中国国貿促主催:北京飯店」。二七日「小川大使主催:国際クラブ」。七月三日「日本自動化展覧団主催:北京飯店」。  一〇人ぐらいの丸テーブルを十数個ならべた「結婚式場披露宴」のような形式で、中国の習慣はご存知のように「○○に乾杯(かんぺい)」というのが、宴会の中で何度かあります。それが「紹興酒」でなく「貴州茅台(マオタイ)酒」(酒精度:五三度)で、グラスを下向けて、飲み干したことを示すのが礼儀とされています。各テーブルにはそれぞれ中国側の人が入っているので、... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/05 09:25
「中国工業展出張」のこと(一)
 昭和四七年九月、日中国交正常化が行われ、翌年六月北京で初の「日本自動化展」が開催されました。  主催は日本国際貿易促進協会「国貿促」。日中友好協会後援で、参加団長は横河電機社長松井憲紀氏、担当商社東工物産。総員一〇〇人ぐらいで、何しろ国交回復最初のイベントなので、「国賓待遇」とまでいわれた「お祭り騒ぎ」です。  展覧館のバッジを付けていると、バスに乗ったらおばあちゃんまで立って席を譲ってくれる始末。丁重に辞退しましたが……  T社からは私を含め6名参加。会期は六月二〇日から一〇日間くらい... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/03 08:57
「技術士試験合格」のこと
 アメリカへ駐在していたとき、よくオフィスに「Consulting Engineer(コンサルティング・エンジニア)」という資格証の額を見かけました。  日本でも「技術士法」が昭和三二年に制定され、翌年から資格認定試験が行われるようになりました。  会社に勤めているかぎりはそんな資格は必要ありませんが、「国家資格」だから取れるときには取っておこうという気になって、調べて見ると「コンサルタント」の資格なので、単に専門技術だけでなく、幅広い経営感覚なども要求されるということが判りました。  そ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/07/01 09:25
「韓国コンサルタント出張」のこと
 昭和四四年一〇月に一九日間の「韓国出張」をしました。  国連開発計画・韓国精密機器センター(FIC)という所からの招聘で、短期コンサルタントとして、あわせて業界視察と言うことでの単身出張です。テーマは「空気マイクロメータ・電気マイクロメータの技術普及」。  訪問先は、韓国精密機器センター/漢陽大学校工科大学/韓国ベアリング工業(株)富平工場/韓国機械工業(株)/起亜産業(株)/(株)金星社(現LG社)(本社)/新韓科学(株)/UNDPソウル事務所/(株)金星社家電機工場/(株)星亜社/国立... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/29 08:37
「執筆・講演・学会・大学講師」のこと
 T社は、日本の高度成長期に合わせて、自動車産業をはじめとする機械製造ラインの自動化に「寸法計測の自動化」という面でトップランナーの会社でした。  東大工学部造兵工学科出身の「英才」の方が経営者の一族にいらっしゃって、この方の学友ネットワークからの情報もあって、最新技術製品の開発が行われてきました。  私は、その方のアシスタントのような形で、学会(日本機械学会/精機学会)や政府の研究所(機械試験所/計量研究所)などに出入りし、勉強させて頂きました。  特に「精機学会」では毎年春秋の各地大学... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/27 08:32
「アメリカの土産」のこと
 帰国近くなると、親戚や同輩、上司などへの「おみやげ」に頭を悩ましました。  小物(タオル・文房具・アクセサリー・袋物・財布)などは米国産品でなく「すべて」輸入品なのです。  しかたがないので日本製でも「アメリカUSA」の文字の入った「タオル」や「テーブルクロス」などをえらんで買いました。  現地の新聞では「チャーリーブラウン・スヌーピー」が連載中で人気でしたが、「ぬいぐるみ」などはなく、「スヌーピー入りレター用紙」を見つけ、ちょっと買い込みました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/25 09:38
「アメリカからのTV中継」のこと(二)
(前項からつづく)  先程のアプローチが役立ったのだ。願ってもないこと、即座にOKして、インタビューの内容の打合せ、モニターで「日本の越年風景」の中継を見てその感想も加えて欲しいとのこと。  はからずも宇宙中継で元旦早々全日本に挨拶し、T社のPRにもなる!……と躍り上がらんばかりの心境でありました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/06/23 08:39
「アメリカからのTV中継」のこと(一)
 昭和四一年年末。駐在先の会社S社は、クリスマス休暇が二三日から二六日まで、年末年始休暇が三〇日から年始二日までとなっていました。二七日から二九日まで有給休暇をとれば通算十一日のバカンスとなるので、半数近くがこのような休暇に更に数日継ぎ足して休んでしまうので、私らもその間は会社に出てみても仕事になりません。  私はクリスマス休暇の二日間をアパートで仕事をし、代わりに正月四日までニューヨーク・ワシントン方面に旅行することにしました。  同じ駐在員のH君は北の方へスキーに行くことになり別行動です... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/06/21 09:45
「アメリカ駐在」のこと(二)
 仕事は、各種自動車部品の寸法自動選別機の図面を収集し、日本に送ること。部品流用が多いので、一台の機械の全部の部品図をまとめるのに、多くの手数がかかるのです。そして、測定ユニットの色んな技術データーの収集理解という仕事もありました。H君は「空気マイクロ」担当で、現場の製造設備の習得と、製作実習もやりました。  「トヨタ自動車」の検査課の方が出張してこられ、ご一緒に、フォードやGMの工場見学をしました。この頃は、アメリカが進んでいたので、どこでも自慢げに「製造組み立てライン」をオープンに見せてく... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/19 09:57
「アメリカ駐在」のこと(一)
 出発は昭和四一年九月一七日、小雨に煙る「羽田空港」からでした。当時は海外出張などまだ珍しい時期で、T社社長・専務他先輩同僚部下、親戚一同、出入りの洋服屋まで三十数名「万歳三唱」での見送りでした。  JALジェット機DC8ですが、ハワイ給油、サンフランシスコでTWAに乗り継ぎ、ロス経由、オハイオ州デイトンに飛びました。  機中、ウイスキー二杯で、腰を抜かし、スチュアデスに助けられ、「機上では平地の三倍も効くのでご注意」と、出発準備の緊張もあったか最初の失敗。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/17 10:17
「アメリカ駐在へ」のこと
 昭和四一年(一九六六年)九月から六ヶ月、アメリカ、オハイオ州デイトンという田舎町に駐在しました。  T社は、自前で色々な機械工場現場で使われる「自動測定機器」を開発製造販売していましたが、当時この分野ではアメリカが一歩も二歩も先を進んでいました。  アメリカの「S社」との技術提携の話が進み、通産省の許可を受ける段取りになっていました。「技術援助契約」「ライセンス契約」ともいいます。「ロイヤルティー」という技術(特許)使用料を当該売上の三%を支払うという契約でした。  対象製品は、「空気マ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/15 08:27
「昭和三〇年代・歌謡曲」のこと
●女船頭歌:嬉しがらせて泣かせて消えた(三橋美智也) ●哀愁列車:惚れて惚れて 惚れていながら(三橋美智也)  民謡で鍛えた美声で、一世を風靡した方ですね。 ●月がとっても青いから:……遠回りして 帰ろう(菅原都々子)  この方も澄んだ声で、独特のビブラート。魅力のある歌い手でした。 ●この世の花:あかく咲く花 青い花(島倉千代子) ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/13 09:48
「昭和三〇年代・世の出来事」のこと
●高度経済成長始まる  ウィキペディアによると、昭和二九年一二月(日本民主党の第一次鳩山一郎内閣)から昭和四八年一一月(自民党の第二次田中角栄内閣)までの約一九年間とされています。その間GNPは六・六兆円から一一一・七兆円と一七倍に、経済成長率は平均九%だったようです。(参考:平成二四年実質GDP五一九・六兆円、成長率マイナス〇・九%) ●日本の国連加盟(三一・一二・一八)  この年、一〇月に「日ソ共同宣言」により日ソ国交が回復されたので、一二月の「国連総会」で日本の加盟が認められた。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/11 09:34
「父の伊豆温泉付き別荘」のこと
 表題はすごく豪華ですが、実は借家なんです。貸別荘です。  父は四十代で連れあいを亡くし、一時子連れで転々の生活を送りましたが、後妻を得て、水道筋の「古本屋」が意外に生活を安定させ、疎開したり空襲を受けたりしながらも、戦後またこの「古本屋」で「新円生活」も乗り切り、そうこうしているうちに「貸本店」に切り替えざるを得なくなり、それがまた「幸運」を呼んで「N書房」連合会・協同組合の「総帥?」になりました。大金持ちには成れませんでしたが「功なり名を遂げた?」老後でした。  ところが「貧乏性」という... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/09 11:45
「軽井沢別荘の利用」のこと
 父母が存命中は、七・八・九月ズーッと「ばあや」とともに「別荘」にいてくれたので、週末友人と利用するときなども、取り立てて掃除することなく快適に利用できました。  でもオフシーズンになると、先ず止めてある水道栓を、町の水道屋さんに連絡して開栓して貰います(冬季凍結予防のため)。そして半日掃除にかかります。布団は置いていくと湿気でべとべとになります。布団乾燥機等もやってみましたが、良くありません。東京から布団をワゴン車に積んで往復しました。お客様用は現地で「貸し布団」屋を利用しました。  魚屋... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/07 08:40
「コーラス部とテレビ出演」のこと
 会社では、管理職(課長以上)は、会社の同好会の何かの部の部長を務めること、というお触れが回り、私は「唱歌八点」の身を省みず、「コーラス部」の部長を引き受けました。  部員には、オルガンや、アコーデオンを弾ける人がいて、混声合唱の譜面など探してきて、時間外や昼食時などに、男女合わせて二〇人くらい「混声合唱」です。  歌う前に「発声練習」をするというのを、始めて知りました。小学校では教えてくれなかったと思います。ちょっと発声練習をすると、スゴく声が滑らかに出るようになるのですね。  私が覚え... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/05 09:15
「住宅新築」のこと
 昭和三六年九月に自由ヶ丘の店舗住宅を売って、いよいよサラリーマン専業になることにしました。  会社が三鷹にあったので、渋谷から吉祥寺(三鷹の一つ手前)迄の「東急井の頭」沿線に居を定めたいと探しましたが、年々地価が上がっており、予算で買える所がありません。  結局中央線「三鷹」より先の「武蔵小金井」で「日生住宅」の分譲地にきめました。田んぼを埋め立てた土地に二十数区画。家屋付きもあったのですが、当方子供もなく親も同居しない二人住まいなので、間数を減らし、ゆったりした平屋建て(当時建ぺい率三割... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 3

2016/06/03 08:49
「ゲルマニュームペレット厚さ自動選別機」のこと
 昭和三〇年にソニーが「トランジスタラジオ」を発売しました。  今まで真空管だった電子機器が、半導体(個体)回路に替わって、信頼性を増すとともに、小型化になっていくスタートでした。  この頃のトランジスタは、後のシリコンではなく、ゲルマニュームを用いたものでした。この「ゲルマニュームトランジスタ」の中核部分は「ペレット」と呼ばれる一ミリ角で厚み〇・一ミリというものでした。この厚みを出すための最終工程はエッチング作業でしたが、厚みを揃えるため、ピンセットで一つづつつまんで測定して、その厚みに応... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/06/01 08:37
「電気マイクロメータ」のこと
 これはスピンドルの微小な動きを、電圧の変化としてとらえ、表示する「精密寸法測定器」です。  差動変圧器型とよばれる方式で、一次コイルと二つの二次コイルの中を磁芯(コア)が動くことによって、二次側の発生電圧が変わることを利用したものです。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/30 08:28
「空気マイクロメーター」のこと
 機械部品の寸法測定器の一種です。一般に機械工作で使う測定器は「ダイヤルゲージ」「ノギス」「マイクロメータ」というモノでした。  大量生産の機械部品製作工場(自動車部品など)では、上記の計測器では精度が不足だったり、手間が掛かるので、それぞれの部品専用の測定器を必要としました。  「トヨタ自動車」でアメリカのS社の「空気マイクロメータ」というのを買って見るとすごく性能がいいので、何処かで国産してくれないかなという話が起こり、それを聞き込んで、T社で自社開発に打ち込み、昭和二七年一二月にトヨタ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/28 08:55
「労働時間」のこと
 当時(昭和三四年)は朝八時始業、昼一時間休憩(会社には社員食堂がありました)で夕方五時迄。拘束九時間実働八時間労働でした。大企業は八〜四か九〜五の拘束八時間、実働七時間だったと思います。土曜休日はまだまだ先の事。週四八時間労働でした。そして嘱託と課長以上の管理職は残業手当は付かなかったのですが、サービス残業一時間というのが常でした。  定時で帰る人は殆ど無く、大抵二時間ぐらい残業していました。残業は二五%の時間外手当が付きます。たしか深夜は五〇%増しだったように思います。納期遅れなどで現場な... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/26 06:39
「嘱託から課長まで」のこと
 昭和三四年夏、満三一歳での転職です。ある部品の寸法形状を検査するために「ダイヤルゲージ」を何ヶ所かに取り付けた「測定ジグ」というものの設計から入りました。  注)ダイヤルゲージとは、スピンドルの微小な動きを歯車で拡大して示す精密寸法測定器。一目盛が一〇〇分の一ミリメートル。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/24 12:34
「妻の内助」のこと
 私が「会社勤め」になると「貸本」の仕入れ作業ができません。妻は私と同時に「自動車運転免許」を取っていましたので、週二回くらい、朝私に同乗して三鷹まで行き、そこからルノーを運転して、神田の特約してある「卸店」に新刊雑誌や新刊小説類を仕入れに行くのです。  自由ヶ丘に戻り、「貸本」はイタミを防止するため、ドリルで孔を開け紐を通して補強し、硫酸紙、後には透明ビニールシートでカバーをするのです。住み込み店員と共にこんな作業をして、その本をまた車で「阿佐ヶ谷」の店まで届け、帰りに「三鷹」の会社まで私を... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/22 08:33
「貸本業衰退/再就職」のこと
 テレビ放送開始は昭和二八年、N書房東京進出と同じ年でした。「貸本」は大衆娯楽として大人気でした。  「新刊貸本」が流行るためには、大衆小説・通俗雑誌・マンガなどの出版が盛んでないと、息が続きません。  ちょうどN書房が躍進を始めた頃、一軒の店を開店するに足るだけの「新刊書籍(小説やマンガ)」が「卸屋」にあったということです。そしてその後は「貸本店」の増大に合わせて、「貸本マンガ」をはじめ「時代小説」「推理小説」などの「大衆文学」が盛んになり、「貸本」向けの書籍出版が増大し、需要と供給がスム... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/20 08:51
「おんぼろルノーで悪戦苦闘」のこと
 最初に買ったのは、おんぼろの「ルノー」でした。日野自動車で国産していたものです。イヤ、ひょっとしたらフランス製の超古物だったかも。十万円でした。タイヤはチューブという中袋のあるものでした。だいぶすり減っていたのか、質が悪かったのかしょっちゅうパンクしていました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/18 10:46
「運転免許証」のこと
 テレビのほかの贅沢品はやはり「自家用車」です。そのためには先ず、自動車運転免許証を取らなければなりません。  多摩川・田園調布ちかくの「東急自動車学校」というのに通いました。この頃はたしか一教程五〇〇円、四〇教程で標準なら二万円で卒業です。(金額教程数は不確か?)たしか一日二教程までできるので最短二〇日間コースです。  ミス日本の「伊藤絹子」や俳優「東野英治郎」などが同級生でした。  免許は普通四輪(アメ車)と小型四輪とに別れていました。伊藤絹子さんは普通四輪で「フォード」か「シボレー」... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/16 17:02
「軽井沢に別荘が建つ」のこと
 二年目(昭和三四年)にいったとき、とうとう土地を買って、別荘を建てる事になりました。勿論林の中六〇〇坪……ではありません。草軽電鉄「旧軽井沢」の次の駅(1.3km)「三笠」から少し山(愛宕山)の方へ入った所です。父、兄達私の四区画ならべて買いました。斜面のところ、ほんのちょっぴりです。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/14 12:39
「軽井沢の貸別荘」のこと
 「旗の台」の次兄の所の近くの印刷屋さんに誘われ「軽井沢」というのを知りました。  戦前からある超有名な「別荘地」ですが、縁のないものと思っていました。この印刷屋さんもそれ程お金持ちではないのですが、戦前からときどき訪れて縁があったようです。  おっちょこちょいの我々一家です。「貸別荘」。七・八・九の三ヶ月だけ、一戸建ての別荘が借りられるのです。二夏借りましたが……  「C元男爵」の別荘でした。不動産屋の紹介で、渋谷の「松濤町のお屋敷」で面接がありました。お屋敷に入ると「新劇の舞台装置」の... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/12 14:45
「釣り」のこと
 これも次兄の趣味で、一緒に行こうと誘われて、川釣りは「多摩川上流」拝島・福生あたりの渓流で、流し釣りでヤマメ・イワナです。兄嫁の父が上手で、石ころの裏から「川虫」を採って餌に。私たちは釣り道具屋で買った「さし」(うじむしみたいなの)です。  家族ずれで出掛けて、時には河原で七輪で網焼きなどして、楽しみました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/10 13:04
「カメラとムービー」のこと
 次兄は工業学校の時に「トーゴーカメラ」を買いましたが、戦後も早くからカメラに凝っていました。   つられて私が買ったのは昭和二八年発売の名器「キヤノン4SB」です。レンジファインダーですが長く使っていました。  その頃「生活写真」というのが流行っていました。兄と築地あたりの子供や働く人達など、撮りに行ったのを覚えています。作品は残念ながら残っていません。 注)残っていました二枚ほど載せます。(二〇一六・九・二二) ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/08 09:08
「マツタケとタケノコ」のこと
 この二つとも、関西の特産といっても良いでしょう。 ●マツタケ(松茸):  東京へ移った後数年間は、大阪の親戚から秋の香りとして送られてきていました。食べあぐねて、新聞紙の上にならべて縁側で干したりしていました。  今は高級品ですが、戦前などはごく素朴な「おかず」でした。「香りまつたけ、味しめじ」っていう通り、手で裂いて「カンテキ」の炭火で焼いて「スダチ」と「醤油」でいただく、香りと歯ごたえが絶妙でした。  妻の姉のところからは、開く前の初物。妹からは傘の開いた立派なのが毎年届きました。... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/05/06 06:55
「東横のれん街と銀座」のこと
 「自由ヶ丘」には昭和三一年から三六年まで五年間住んで居ました。「衣食住」といいますが、関西から来たばかりの私たちとしては、食が一番印象に残っています。  お総菜、特に「活け」の魚は自由ヶ丘の「市場」で間に合いました。私は神戸生まれですから、子供の時に「新鮮な魚の味」に慣れてしまっていたので、魚屋さんの板の上で跳ねてるような魚でないと「生臭い」と感じていましたが、幸い「高いけど新鮮な魚」を置いているお店があるので助かりました。  肉も神戸では安くて美味しい牛肉に親しんでいました。これは「渋谷... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 1

2016/05/04 11:05
「自由ヶ丘での貸本店」のこと
 田園調布の「お屋敷町」に隣接した東急東横線と大井町線の交差する「自由ヶ丘」は私たちが上京してきた昭和二八年、すでに城南地区のファッションセンターでした。  駅から東横線に沿って北東に「自由ヶ丘銀座」とよばれる商店街がありました。線路沿いの側は二階建ての「市場」のようになっていました。この商店街のはずれに「パチンコ屋」(昔夜店にあったようなパチンコ台十台くらいの小さな店)のあとを店先だけ借りて「N書房自由ヶ丘店」を開店しました。ここから先も「自由ヶ丘三丁目商店街」というのが続き。すぐそばの踏切... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 7

2016/05/02 09:24
「アカイのテープレコーダー」のこと
 赤井電機から、ソニー(当時東通工といった)と相前後して「家庭用」の「オープンリール式」テープレコーダーが発売されました。  昭和二九年か三〇年の事です、父が「歌謡曲」が好きで、このテープに島倉千代子の「この世の花」などを自分で唄って録音して、それを再生して聞くのです。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/30 09:11
「宴会の余興/隠し芸」のこと(二)
 こんな席では、「都々逸」も短くていいので、稽古したものです。 ●都々逸:    都々逸ぁ 下手でも やり繰りぁ じょうず 今朝も ななつ屋で 褒められた    信州信濃の 新蕎麦よりも わたしゃ あなたの そばがいい  注)ななつ屋とは質屋のこと。  あまり歌が上手でない「伯父」は「高い山から」というのを歌ってた事を思い出します。調べて見ると明治の「小学唱歌」でした。「ギッチョン節」にもあったようです。 ●小学唱歌(明治二五年) :    高い山から 谷底見れば 瓜やなすびの 花... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/28 09:10
「宴会の余興/隠し芸」のこと(一)
 戦中から戦後、何かといえば集まって、お座敷で宴会が多くありました。  宴会では、何か「ひとふし」やらされるのが常でした。慰安旅行などでは、広間でぐるりに並んで坐って、前に「お膳」が出て、仲居さんや芸者さんがお酌に回って、座の乱れないうちに、芸者さんが「奴さん」とか、温泉ではその地の「草津音頭」とか「八木節」など、三味線付きで唄と踊りを披露します。そこから先は、順に何か歌え、という事になるのです。  戦中は軍歌や兵隊節、特に「学生の宴会」では卑猥な替え歌なども多く、もちろん流行歌もやりました... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/26 11:09
「慰安旅行」のこと
 昭和三〇年四〇年代は「家族」や「会社」「組合」などの団体「慰安旅行」が大流行でした。  昭和二七年結婚した年の夏には「N書房」も親戚などで二〇軒近くになっていましたので、店主店員含めて「淡路洲本温泉」一泊旅行というのが「慰安旅行」の始まりでした。  この頃は、女の人は家で自分の服を縫うという「洋裁」がはやっていました。妻も三日がかりで、白いレースのワンピースを仕立てて参加したのを覚えています。  私は蝶ネクタイなんかしてオシャレ。州本へ向かう船の上です。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/24 10:08
「昭和二〇年代・歌謡曲」のこと
●リンゴの唄:リンゴ可愛や 可愛やリンゴ(並木路子)  終戦直後の焼け跡の中から聞こえてくる、この明るい歌声は忘れられません。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/04/22 08:43
「昭和二〇年代・世の出来事」のこと
●終戦:玉音放送(二〇・八・一五)  正直、やっと終わったという感じでした。でもこれからどうなるのかちょっぴり不安でした。  ●GHQ占領統治開始  占領中、我々の知らなかった政策も数々行われたようです。もちろん不満はありますが、ソ連との分割統治にならなかったのは、幸せです。 ●新円切替・五百円生活(二一・三)  旧円の市場流通の差し止め、一世帯月の引き出し額を五〇〇円以内に制限する。こんな乱暴なことって「ビックリ」です。ただ我が家は「小銭を扱う古本屋」だったので、それ程大きな生活困難... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/20 08:39
「貸本屋の株式会社設立」のこと
 昭和二九年には父も上京してきたので、父を社長、長兄を専務、次兄を常務、私が取締役経理部長の分担で、川崎市に本社を置く「株式会社」を設立。都内と周辺に十数店舗開店しました。個人の店舗は個人持ちのママです。  すべて貸店舗です、国鉄私鉄を問わず、駅前通を狙って、開店。  店員さんはその店の奥に住み込み、兄嫁の父が岡山の田舎から、中学出立ての女の子を連れて来るのです。一軒に二名ずつ配して、ライトバンを一台買って神田で新刊雑誌・書籍を仕入れて、殆ど毎日のように各店舗へ配達、ついでに集金。といった具... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/18 09:36
「未設電話権利」のこと
 昭和二八年東京進出の頃、一般家庭電話は普及の途中でした。私や次兄が住んだ地域の「荏原」局番「七八」の電話は特に町の発展に追いつかなかったためか、高価でした。街の「電話屋」で「既設電話加入権」を買うと二五万円ぐらいしました。月給一万円の頃です。  注)「不動産屋」と似たような形で「電話権利」の売買をする「電話屋」というのが街にありました。  普通に局に申し込んだのでは、何時つけて貰えるか分かりません。これも次兄が「電話屋」から勧められたのですが「未設電話権利書」という「インチキ」みたいなのを... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/16 09:02
「妻の膝のねんざ」のこと
 昭和二九年か三〇年の冬、弟たち(実弟は慶応、義弟は早稲田)と上越の赤倉温泉の先、関スキー場というのに行きました。  当時「8ミリシネ」に凝っていましたので、妻の滑りを裾の方から撮ろうと、新雪のキレイなスロープを選んで構えました。  残念!新雪で雪があまりにも柔らかく、スキーの板が埋まって止まってしまいました。身体は前に飛び出していたので、膝が伸びて、片方の足は靴から脱げてよかったのですが、左足の膝をやられました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/14 10:12
「家電・三種の神器」のこと
 目黒区・西小山・原町の借家は、隠居夫婦が建てた平屋で庭付き。南側に小さな庭ですが石組みした築山で四季の木が植わっている、とても優雅な家でした。  道路から少し引っ込んだ場所ですが、借家用に建てたのでなく自分が住むつもりで建てた家なのでとてもよくできていました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/12 08:41
「N書房東京進出」のこと
 次兄と兄嫁は関西弁でいう「おっちょこちょい」な面もありましたが、とにかくよく働き、よく遣う、という活動的な性格でした。そのうちに「狭い大阪」で店をやっているより、天下の「首都東京」で一旗揚げよう……といい出しました。  兄嫁の親戚が東京の品川区「武蔵小山」に住んでいる事がわかり、そこを足がかりに上京し、東京で「N書房・貸本専門店」を出そうという訳です。  「永和」にいた長兄と「布施」にいた私に声がかかりました。私も「Tミシン」が少し傾きかけていたので、この際「学歴」などにこだわらず、「事業... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/10 09:11
「スキーと咳止め」のこと
 妻も私も運動神経はあまり良い方ではありませんが、それでも流行の「冬のスキー」には、琵琶湖を渡って行く「牧野スキー場」、温泉付きの上越の「赤倉スキー場」などにも出掛けました。昭和二七〜八年頃。  赤倉はたしか二キロだったか四キロだかの長いリフトがあって、だらだらとあまり急斜面でなく滑れる初心者向けの佳いコースがあったように記憶しています。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/08 09:03
「本田ドリーム号とハイヤー」のこと
 生野区大友町で開店した次兄の店は、成績がよかったらしく、ちょっとした贅沢をはじめました。当時ホンダから売り出された「バイク」「ドリーム号」にまたがって、革ジャンなど着て、(暴走族ではありませんが)かっこよく走っていました。  私も免許がないのに、ちょっとまたがって、こわごわ発進したら、お尻から「ズン」と前に突き出されるような感じで、ビックリしました。  そのうちに長男が生まれ、小型ながらもサイドカーというのを付けて、嫁さんと赤ん坊をそれに乗せ、私の「布施」の店のまえに止まったときはビックリ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/06 13:20
「N書房五〇店舗超える」のこと
 貸本屋がそんなに専門知識が無くても、良い場所に店舗を構えれば、そこそこ収入が上がる事が分かった時点で、父がお人好しというか、世話焼きで、親戚や知人に無料で指導してあげ、名義料も何も取らずに、「N書房」の看板をあげることを許したので、この三〜四年で大阪および近郊にには五〇を超える「N書房」ができました。  当時(昭和二四年)は戦後の混乱期で、なかなか就職難でもありましたから……、それでも開店資金は要りますから、昔からあった「頼母子(たのもし)講」を小金を持っている親戚知人も交えて何口も作り、そ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/04/04 10:49
「結婚・副業に貸本屋」のこと
 労音・労演が取り結んだ縁。一年あまりの交際の結果、めでたく結婚する事になりました。昭和二七年春。  この頃はまだ「結婚式」は家と家の結婚式、式場は「文の里」の我が家の二階。式と披露宴に集まる人は両家の親戚の男性のみ。友人や上司などは一切よびませんでした。女連中は一階でちらし寿司など作って食べていました。そういう時代だったのです。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/04/03 12:42
「労音・労劇」のこと
 「大阪労音」正式名称「関西勤労者音楽協議会」は昭和二四年一一月発足です。会員制で運営された音楽鑑賞団体です。私の「Tミシン」入社が昭和二五年夏です。ここの庶務課の女性が「世話役」をしていました。  古本屋の息子である私は、音楽的素養も環境もありませんでしたが、大学に入った頃から、ご多分に漏れず「クラシック」などに憧れ、三国の店の近くでは「レコード鑑賞会」という「クラシックのレコードを持ち寄り、個人の家で数人集まって一緒にレコードを聴く会」などにも参加していました。そんなこともあって「音楽会」... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/31 12:49
「家庭用ミシン」のこと
 戦前の家庭用ミシンは米国の「シンガーミシン」が大勢を占め、大阪にはその互換部品のパーツ製造業が育ち、家内工業でも鋳物本体に部品を調整加工しながら組み立てていくことができました。  戦後はいち早く、焼けミシンといって、空襲焼け跡から拾ってきた鋳物本体を再塗装し、組み立てることがさかんに行われていました。  そして、その技術を利用して、新しく鋳物本体を吹き、加工塗装して、パーツ屋から部品を購入して組み立てアメリカに輸出する町工場ができました。  「Tミシン」もその一つで、次兄の大友町の近くに... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/29 13:39
「卒業・就職・転職」のこと
 昭和二五年春、大学卒業です。家は貸本業でちょっと潤って居たので、理学部数学科へでも学士入学しようか?(二学年に編入)などと考え、中之島の理学部にちょっと聴講にいってみたのですが、大学の数学は難しいです。多次元とか行列などがすっと頭に入ってこなければ付いていけそうもないので、あきらめました。  旧制ですから大学院修士課程のようなのはありませんでした。大学に残るというのは、助手、講師、助教授、教授という系列に入ることで、最初は「助手」からだったのではないでしょうか?  結局、就職なんですが、ま... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/27 18:10
「卒論」のこと
 精密工学科には六講座ありました。第一講座(数学):城教授 坪光助教授 牧之内講師 津村助手。第二以下は「材料」「機械工作」「……」でした。  三年生になると数人ずつこの講座(「ゼミ」というのでしょうか…我々は研究室と呼んでいました)に志望して所属、各自テーマを貰って、教授・助教授・講師・助手のかたがたの指導を受けながら研究をするのです。  私は先生の講義の時「教科書の誤りを指摘した」ことがきっかけで、関心を持つようになり城研(数学)を選びました。兵庫工専からの友人も城研でした。ただそれぞれ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/25 10:11
「新刊貸本専門店で大阪進出」のこと
 古本屋から貸本屋への転業が昭和二三年に始まったのですが、長兄も次兄も内職の「貸本店」が思ったより収入がいいので、結局鉄工所を解散して、こちらに本腰を入れることになりました。  そして狭い神戸よりも大阪に活路をと、昭和二四年から二五年にかけて、父は大阪「阿部野橋」、長兄は「守口」、次兄は生野区「大友町」で相次いで開店。  古本を市で買ってきて、古本屋を始めるのでなく、新刊の書籍・マンガ・雑誌を仕入れてきて「開店」。週二回くらい「卸屋」さんへ通って、次々と新しい本を仕入れるのです。看板も「新刊... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/23 10:39
「古本屋から保証金無しの貸本屋へ」のこと
 資料によると昭和二三年の事であったらしいです。私の大学一年生か二年生の時。神戸の何処かで「古本屋」でなく「貸本専門」の「ろまん文庫」というのが創業・開店しました。「米穀通帳」などの身分証明の呈示によって無料会員になり、「保証金無し」で本を持ち帰り、返すとき日数に合わせた「貸本料金」をはらうという、画期的な制度でありました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/21 08:59
「鉄工所の失敗と再建」のこと
 次兄は昭和二一年、長兄は昭和二二年、無事に前後して復員してきましたが、なかなか元の会社への「復帰」もできず、神戸市灘区水道筋の借家が「店屋」構えだったので、土間を広げて「鉄工所」を始めました。……といっても「プレス屋」です。手動プレス機械四台ほどと、関連機器をならべてスタート。  進駐軍放出の缶詰の「空き缶」を回収業者から買い取って、それを材料に「軟膏」などを入れる容器をプレス機械で作るのです。 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/19 09:14
「数学機器総説」のこと
 「精密工学」というのは「機械工学」と何処が違うのか?よくわからないで大学に入学しました。入試が「機械科」より易しそうだという動機不純で、それで進路が変わっていくのです。いい加減な男でしょう。基本科目は殆ど機械科と同じですが、原動機関連が少なく、工作関連が多かったようです。  今の「大阪大学精密工学科」の内容説明をネットで知りました。「物理学を基本に、自然現象の“精密さ”をその極限まで駆使し、創造性に富んだ高度な“物づくり”技術の創出を目指した世界で初めての学科」と書かれています。そうです戦前... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/17 10:04
「学帽と枚方校舎」のこと
 当時の学生は制服制帽です。「黒の詰め襟」は兄のお古とかで間に合いましたが。あの「角帽」が入手困難でした。  京都の又従兄弟(私の名付け親といわれる父の従兄弟の息子)に丁度「京大」を出たばかりという人が居て、初めて訪れるその京都の親戚まで行って頂いてきた「学帽」をなんと帰り道「阪急電車」の座席に座っていて、窓から飛ばしてしまったのです。次の駅で降りて探したのですがとうとう見つかりませんでした。  今度は水道筋で戦後間借りをしていた家の親戚とかの人から譲り受ける事ができ、これは卒業まで毎日かぶ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/15 12:35
「大学受験」のこと(二)
 戦前は、大学入試というのが一般的には無かったのだそうです。旧制の高等学校を卒業すれば、卒業生数と大学入学定員がほぼ同数だったため、どこかの「帝大」に入学できる仕組みになっていて、大学受験浪人はほとんどいなかったようです。早稲田、慶応、北大などは予科というのがあったようです。いや、よく判りません。  それが、戦後昭和二一年春から、大学入試が、高等学校卒業生だけでなく、高工、高商などの専門学校卒業生までに広げられたのです。  そしてまた、軍関係諸学校(陸軍士官学校・海軍兵学校・海軍機関学校・陸... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/13 08:57
「大学受験」のこと(一)
 昭和二一年には工専三年生となり、あまり勉強をしないまま、昭和二二年春は卒業です。  「陸軍委託生」になることを誘ってくれた友人が、今度は「大学受験」してみようと言いだしました。工専を卒業して就職しても、先輩のいない新設校の第一回生は、社会競争において不利だぞ、戦後になって、大学も高校からだけでなく、工専や経専などからも受けられる様になったから、一つ狙ってみないかと、誘われたのです。  以前にも書きましたが、親しい親戚に高校や大学生がいなかったので、ただ漠然と県工に入り工専が出来て受けたら通... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/11 08:59
「戦後の地蔵盆」のこと
 この項から、第三部「戦後から昭和の終わりまで」が始まります。よろしく……  次兄が無事南方から帰還し、入営前の会社は雇ってくれず、取り敢えず、古本屋の手伝いなどをしていました。長兄の帰還はその翌年です。  多分終戦の翌年、昭和二一年の夏の事だったと思います。神戸では「月遅れ」の八月二四日が「地蔵盆」でした。  焼け跡に残っていた「お地蔵さん」のまわりを整理して、お掃除をし、お供えをし、茣蓙やムシロを敷いて、日暮れてからご近所集まって、「地蔵和讃」などを唱(とな)えます。関西の方に多いよう... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/09 21:48
「妻の思い出・自慢話」のこと(四)
●「松下幸之助さん」  妻の父は両親を早く亡くし、親戚に引き取られ独学で「薬剤師」として身を立てられた方だったようです。妻が小学校低学年の時、大阪の野田で薬局をして居られ、小学校の父兄会の副会長をされ、松下幸之助さんが会長で、親しくして頂いていたようです。  松下幸之助さんのお嬢さんと妻の姉が同級生で、松下さんの自家用自動車に同乗させて貰って、塾に通っていたことがあると…  後のことですが、大阪・野崎への疎開とか、戦後市内の空き借家の修理とか、松下さんの番頭さん格の方に、とてもお世話になっ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/07 09:09
「妻の思い出・自慢話」のこと(三)
●「野田の薬局時代」  妻の小学校低学年は大阪野田の大開(おおひらき)小学校。「お菓子屋さんの子」はいいな、「薬局の子」はつまんない…といっていたら、店番中の「薬剤師」さんが「炭酸水」を作ってくれたと…  父は色んな世話役を引き受けていて、店を空けることが多かったようです。お客さんは「大将留守でっか・・大将の薬よく効くねんけど…じゃまた」と、学校出の白衣の「薬剤師」さんでも信用がなかったと…  注)大将:関西では、店の主人のことをそう呼んでいました。  注)当時は、ちょっとした風邪引きや... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/05 10:32
「妻の思い出・自慢話」のこと(二)
●「天皇陛下からお香典をいただいた叔父さん」  妻の母の弟、香川三本松中学校ではじめての「陸軍幼年学校」合格者だったらしく、万歳で入校したようです。ところが残念な事に在学中「脚気」にかかり、中途退学。大正初年の事です。この当時、陸軍は白米食だったためビタミンB欠乏の脚気にかかるものが続出したのです。  海軍はヨーロッパを見倣い、白米をパン食や麦混合飯に切り替えたようですが、陸軍は森鴎外が陸軍軍医総監で脚気細菌説を採り、白米をやめなかったため、脚気犠牲者が続きました。大正一〇年過ぎにやっと「ビ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/03 09:16
「妻の思い出・自慢話」のこと(一)
 何度も聞かされている妻の「思い出」というか「親戚・知人などの自慢話・逸話」を四回に分けて掲載してみましょう。何れも戦前の話。 ●「日露の勇士」  妻の大伯父「母方祖父の兄」は香川の人、日露の戦いで片腕を落としたが、それを腰に差し突撃したという(これはマユツバですが)。金鵄勲章。その腕は高松の「日本赤十字病院」にアルコール漬けになって保管されているとか(未確認)。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/03/01 09:20
「昭和二〇年・世の出来事」のこと
 八月一五日を挟んで世の中はガラリと変わりました。 ●理工系学徒入営延期廃止:(二〇・二・八) ●東京大空襲:死亡:八万三七九三人、負傷者:四万九一八人、被災者:一〇〇万八〇〇五人、被災家屋:二六万八三五八戸(二〇・三・九〜一〇) ●硫黄島玉砕:(二〇・三・一七) ●郵便料金値上げ:ハガキ三銭→五銭。封書七銭→一〇銭。 ●沖縄戦:死者:日本人:一八八、六五六人(軍人・一般人含む)。米人:一二、五二〇人(二〇・四・一〜六・二三) ●ドイツ降伏:(二〇・五・七) ●原子爆弾投下:広島:... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/28 09:23
「終戦直後の闇市」のこと
 神戸の三宮駅から元町駅の間のガード下、それに沿って、闇市ができたと評判で、行ってみました。道端に布やテントのようなものをしいて、色んなものが売られています。  「食べ物」が人気で、にぎりめしや大福餅なども売っています。勿論、衣類や毛布、端切れのようなものから、道具類、鍋、釜なども、焼け跡なのに、何処にあったのかというほど、何でもありました。  こちらは「焼け出され」ですから。欲しいモノは一杯あります。ただし値段は、「銭単位」でなく、「円単位」。「揚げ饅頭」一個五円が相場。わたしは幸い「古本... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/26 09:50
「終戦直後の汽車事情」のこと
 昭和二〇年が終戦の年。工専二年生でした。神戸市兵庫区五位ノ池の学校が爆撃で完全消滅だったので、終戦直後板宿の小学校に一時開校しましたが、間もなく姫路の「県立姫路工業学校」の一部を借りることになりました。  私としては一年間「姫路疎開先から神戸に」通学していたのに、今度は家は神戸、学校が姫路と逆転しての「汽車通学」です。  当時は、もちろん客車もありましたが、「有蓋貨車」の列車も何本か有り、もちろん座席など無く、立ったり、しゃがみ込んだり、へたり込んだりです。「ワム」という記号の車両です。何... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/24 12:46
「終戦直後の生活」のこと
 市場村で五四歳の父は「もう本屋を辞めて」ここの裏山で畑を作り野菜を売って生活するよりすべが無い」と消極的でした。  ここには伯父一家も焼け出され「蔵の一階」に、米屋の叔母一家も「主屋の座敷間」に、我が家は「蔵の二階」と共同生活でした。  私は焼けた学校の存続や移転のこともあるので、「神有電車・三木冨久有橋」から途中、爆撃での不通区間を徒歩でつなぎながらも「神戸湊川」に辿り着き、学校と灘区水道筋のようすを調べました。学校は近くの板宿小学校を借りて間もなく再開とのこと。  水道筋の店は健在だ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/22 08:54
「終戦を迎える」のこと
 終戦前日、全国の「造兵敞」が集中的に爆撃されましたが、私はちょうど市内の「熱田製造所」へ給料を受取に行っていて、実際の爆撃には遭いませんでした。  「鳥居松製造所」は小銃と軽機関銃でしたから、米軍も承知していて大きな被害はありませんでした。  市内の「千種製造所」は高射機関砲を作っていたので、ひどく爆撃され、私の「県工時代の一年先輩」が神戸高工から、同じ「委託生」で「千種」に勤務していて、爆弾で死亡したと聞かされたときはオドロキと恐怖におののきました。  …というのは四月に集合訓練中、配... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/20 10:44
「名古屋造兵敞生活」のこと
 終戦の年、昭和二〇年春、「神戸市長田区の五位ノ池の新校舎」は空襲で全焼、どのみち、この四月からは小学校を除き、授業停止で生徒は全員勤労動員で工場に行くことになりました。  「陸軍技術委託生徒」の私たちは全国から数十人、名古屋に集められ兵舎の隅を借りて、下士官(軍曹)による一応の「軍隊内務班生活」訓練を三週間受けました。その後、数人づつ別れて各「製造所」(造兵敞の現場工場)に配属となりました。  私と友人の彼はJR中央線春日井にある「名古屋陸軍造兵敞・鳥居松製造所」に配属。同室は東大造兵工学... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/18 09:45
「陸軍技術委託生徒」のこと
 兵庫工専の同級生で、気の合う友達が出来ました。彼は父親が経理畑の会社員で、中等学校は神戸市立第○神港商業に入学したのですが、理系の従兄弟の影響を受けたようで、商業から工業への転身者でした、早生まれの四修で私より若い、クラス一の若者で、秀才でした。彼はのち山陰の国立大学教授となりました。  彼が仕入れてきた話で、どうせ我々は卒業すると軍隊に入るので、今「委託生徒」というのに合格すれば、月々月給のように手当が貰えて、卒業すれば「陸軍技術将校」が約束されるといううまい制度だ。これ受けてみよう… ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/16 15:04
「留守家族農家応援」のこと
 昭和一九年秋一一月には約一ヶ月、神戸の北「神有電鉄終点の三木」の郊外、志染村の出征兵士留守宅農家へ、学校から二人づつ泊まり込みで農作業手伝いをしました。  私が泊まった家は五反(五〇〇〇平米弱)ほどの田を持ち、嫁と舅と子供の三人家族でした。そこへ○橋君と二人一ヶ月寝起きを共にしました。三食美しい白米が腹一杯食べられたのが何よりもの「報酬」でした。米は「朝日」とか言う品種で大粒で綺麗な米でした。  幸い稲刈りは終わっていて(今のように機械でなく手で苅るので腰が痛い)、乾燥のため苅った後の田ん... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/14 08:55
「学生語・書生言葉とドイツ語」のこと
 「高等工業」でも「旧制高校」と同年代ですから、明治からの伝統の「書生気質」みたいな「一種の優越感」みたいなものがあるのでした。  ドイツ語の単語を使うというのも、その一つでした。 ●メッチェン:若い女 ●フラウ:婦人・細君 ●リーベ:愛人 ●ハイラーテン:結婚 ●シュワンゲル:妊娠  と、なぜか偏っています。 ●アルバイト:仕事 ●ゲル:お金・現金 ●ゲルピン・ゲル貧:金欠のこと ●エッセン:食事 ●ドッペる:落第する  などなど、よく分からないながらクラスメートとの... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/12 10:07
「高工(工専)進学」のこと
 昭和一九年の春、四年修了から上の学校(高等工業)に受験が出来るようになり、ものだめしに、官立(国立)神戸高等工業学校を受験。見事に失敗でした。  同じ年、わが「県工」に「県立兵庫高等工業学校」が併設され、受験日が遅かったため、四〇倍という競争率。受験はしてみましたが、とうてい駄目と、発表も見に行かず、後日登校したら、友達から「○○通っているぞ」と言われ初めて合格を知った次第。  官立でなく格下の県立、しかも新設の学校だからどうしようか、まだ四修だから来年再挑戦とも考えましたが、父は何でも早... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/10 17:29
「昭和一八年〜一九年・世の出来事」のこと
●英米音楽追放一〇〇〇曲:こういうのは政府に「情報局」というのが出来て、そこから発行される「週報」に記載されたようです。  「ダイナ」「私の青空」「アラビヤの唄」に代表されるジャズ音楽、「ロンドン・デリー」「麦畑」「ヤンキー・ドゥードル」「アニー・ローリー」「アメリカン・パトロール」「懐かしのケンタッキー」「オールド・ブラック・ジョー」「スワニー河」「ラプソディ・イン・ブルー」「峠の我が家」「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」「月光価千金」「セントルイス・ブルース」「南京豆売」「アロハ・オエ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/08 08:57
「昭和一六年〜一七年・世の出来事」のこと
●戦陣訓:陸軍省が制定した「軍人としてとるべき行動規範を示した文書」です。名前は広く知られましたが、あまり評価はよくなかったようです。(一六・一・八) ●米穀配給制度:米は成人一人につき一日二合三勺、「米穀通帳」で配給をうけることになりました。外食には「外食券」が必要。「米穀通帳」というのが身分証明書のような役割も果たしました。配給制度は戦後まで続き、配給以外は「ヤミ米」といわれていました。昭和四四年自主流通米制度が出来て、なし崩し的に米穀通帳なしでも米の購入ができるようになりました。昭和五六... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/06 08:48
「トーゴーカメラと母の遺影」のこと
 次兄が県工時代使っていた「トーゴーカメラ」。いろいろ探していたのですが、最近インターネットで「蛇腹式のトーゴーカメラ」のカタログが見つかりました。以前調べたときトーゴーカメラは箱形とあったので、蛇腹のものを探していました。  この形式かどうかは判りませんが、私の記憶では、このような蛇腹形式、レリーズシャッター、そしてフィルムサイズが「ベスト」判(三・五センチ×五・五センチ)です。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/02/04 09:50
「県工の二人の先生」のこと
 先に県工でお世話ななった先生方を紹介しましたが、さらに二人の先生をあげておきます。 ●別車博資先生:  明治三三年神戸生まれの、水彩画家。県工機械科の大先輩でもある。一年生二年生のときの絵の先生でした。  私は小学生の時は、絵が上手といわれましたが、県工に入ると、上手いのが一杯いて、私などは先生に目を掛けて貰った記憶がありません。  別車先生は昭和五一年に亡くなられたようですが、「日本水彩画会」や「一水会」会員として活躍され、水彩による風景を得意とし、神戸をはじめ兵庫県下の風物を多く描... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/31 17:40
「一般歌曲・戦時歌謡」のこと(二)
●湖畔の宿:山の淋しい湖に ひとり来たのも悲しい心 ●大利根月夜:あれを御覧と 指差すかたに ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/29 08:40
「一般歌曲・戦時歌謡」のこと(一)
 軍歌の思い出に関連して、一般歌曲(昭和八年〜一一年は既出)について昭和二〇年終戦までを記述します。  明治大正の歌も含め、懐かしい曲から… ●美しき天然:空に囀(さえず)る鳥の声(チンドン屋の定番曲) ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/27 08:45
「軍歌」のこと(三)
 沢山沢山ありますが、私が今でも節を思い出せるのは… ●道は六百八十里:道は六百八十里 長門の浦を船出して ●戦友:ここは御国(おくに)を何百里 ●婦人従軍歌:火筒(ほづつ)のひびき遠ざかる ●水師営の会見:旅順(りょじゅん)開城約成りて ●勇敢なる水兵:煙も見えず雲もなく 風も起こらず浪立たず ●広瀬中佐:とどろく砲音(つつおと)とびくる弾丸(だんがん) ●爆弾三勇士の歌:廟行鎮(びょうこうちん)の敵の陣 ●討匪行:どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ ●進軍の歌:雲わきあがるこの... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/25 08:55
「軍歌」のこと(二)
 太平洋戦争中、ラジオを通じて殆ど毎日のように聞こえていたのは、大本営発表に使われた曲です。  陸軍は ●敵は幾万   敵は幾万ありとても   すべて烏合(うごう)の勢なるぞ   烏合の勢にあらずとも   味方に正しき道理あり   邪はそれ正に勝ちがたく   直(ちょく)は曲(きょく)にぞ勝栗の   堅き心の一徹は   石に矢の立つためしあり   石に立つ矢のためしあり   などて恐るる事やある   などてたゆとう事やある  そして海軍は ●軍艦マーチ   守るも... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/23 09:01
「軍歌」のこと(一)
 「軍歌」は終戦後、占領下はもちろん、その後も殆ど「テレビラジオ」では聞かれなくなりました。  しかし、私にとっては「懐かしいもの」の一つです。  今は大抵の曲が「YOUTUBE」で聞けます。  一番古いと思われるのが「抜刀隊」。明治一八年、外山正一作詩、ジュール・ルルー作曲。なかなか荘重な感じです。 ●抜刀隊   吾は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ   敵の大将たる者は 古今無双の英雄で   これに従うつわものは   共に剽悍(ひょうかん)決死の士   鬼神に恥じぬ勇あるも... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/21 11:09
「行軍歌」のこと
 工業学校ではよく「行軍」がありました。四列縦隊で、足並みを揃えての「行進」です。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/19 08:43
「疎開」のこと
 こうして戦時下の生活をなんとか続けましたが、昭和一九年そうそう、水害の時、助けに来てくれた「姫路の親戚」を頼って、姫路駅東南に一軒の借家を見つけ、一家疎開をしました。  このときは次兄は入隊していましたから、父母と私、義弟(国民学校一年生)の四人家族です。実弟は伯父の家で育てられていました。  「学童疎開」も昭和一九年七月から始まりました。義弟は家にいました。  父は相変わらず「水道筋三丁目」の「軒店古本屋」で、姫路から汽車通勤です。帰りは終列車。殆ど相乗客のいない客車で、「戦友」「鉄道... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/17 09:08
「防空頭巾ともんぺ」のこと
 防空壕が一般的になる頃、防空頭巾も各家庭で作り、登校時持参「空襲警報」の時にはかぶる事というお達しが出されました。綿入れで肩まで保護できるものです。  また女性は「スカート」でなく「もんぺ」を着用する事が勧められ、女学生ももんぺ姿になりました。最初はとても恥ずかしかったようですが、皆がその姿になれば、気にならなくなったようです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/15 09:05
「灘警察署前の家」のこと
 ここは昭和一六年から一九年疎開まで住んだところです。筋向いが大石川脇の「灘警察署」でした。  そこでは商売しませんでしたが、店屋作りで、前の住人が「犬猫屋」だったようで、その匂いが染みついていて、なれるまで、匂いの消えるまで一年くらい堪りませんでした。  ここで大東亜戦争が始まり、母も食料不足を補うため「工場の食堂勤め」をして、我々に高粱(こうりゃん)飯ではありましたが、弁当箱に詰めて持ち帰って、大いに当時の「食糧難」を助けてくれました。感謝です。「そば饅頭」などもありました。餡子は入って... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/13 08:52
「次兄の軍隊生活」のこと
 次兄は、一年遅れて昭和一六年、三重の航空隊に入営。三ヶ月訓練のあと面会に行きました。毎日ビンタを食らわされているのかと思いましたが顔は腫れても歪んでもいなかったので安心しました。  彼は「工業学校」を出ているので「乙種幹部候補生」に合格して、間もなく下士官(伍長)に任官したようです。軍隊も「学歴社会」ですね。  専門学校や大学出は「甲種幹部候補生」となり「見習士官」を経て将校(少尉)になるコースがありました。  次兄はその後「気象兵」となり南方で、少人数で各地に展開して、その地の気象情報... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/11 22:01
「長兄の軍隊生活」のこと
 長兄は、入営集結地は内地だったと思いますが、すぐ満洲勤務になりました。  学歴がなかったので幹部候補生の受験資格が無く、終戦後も兵長止まりで帰ってきました。  でも「芸は身を助ける」は軍隊では効果満点です。  通常は現役二年なので新兵の時だけの苦労ですむのですが、戦地では三年四年兵が残っているのでなかなか苦労が絶え無かったようですが…長兄は「書道」を正式には習っていませんが「○○部隊本部」の看板ぐらいはうまく書き、ペン字もそここそに書け、絵も上手いので、舞台の「書き割り」なども描いたりし... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/09 20:19
「兄たちの遊び」のこと
 昭和一二年支那事変が始まると、そこから先はドンドン戦時色に包まれていきました。  しかし長兄と次兄は一つ違いの年子で、よく連れ立って遊んでいました。私より七歳と六歳年上。  特に長兄は学歴は高等小学校卒ですが、三○造船に入社して、機械設計の道を進み、いち早く社会人になっていましたので、結構「ダンスホール」などにも通い「モダンボーイ」を気取っていました。  「ダンスホール」は、社交ダンス(フォックストロット・ワルツ・コンチネンタルタンゴ・ブルースなど)をするところで、女性のお相手がいて、チ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/07 08:44
「受験・学習参考書」のこと(二)
 国語は「古文」の参考書として「枕草子講義」「徒然草講義」など…大和(やまと)言葉は難しいですね。なかなか読み切れませんでした。  高工受験科目は、英語、数学、物理、だったと思います。理科系は国語はなかったようです。  数学のうち、代数は岩切晴二「代数学精義」、幾何は「登龍幾何学」などが有名でしたが、とても難解な本でした。  英語は、一〜二年生のときは工業学校ではありましたが、普通中学並みの程度の高い教科書でした。三年生から敵性語ということもあって、程度の落ちた教科書、授業時間もグッと減っ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/01/05 08:36
「受験・学習参考書」のこと(一)
 受験というのは、旧制中等学校から、旧制高校、旧制専門学校などへの受験のこと。  工業学校は、本来受験校ではないので、殆どが就職。ほんの一握りが「高等工業」を目指す受験生、それも途中からクラスメートが「上を狙ってみようか?」というから、では俺も…ていどの話。  三年生くらいになると、ぼつぼつ上の学校を目指そうかというグループが出来て、丁度その頃「欧(旺)文社」から「受験旬報」改題「蛍雪時代」という受験雑誌も発刊され、こんなのを参考に、また友人からの口込みなどで「受験参考書」を手に取ってみる「... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/03 11:15
「古本屋の手伝い」のこと
 水道筋の軒店は我が家の「金脈」です。家は母が来て市場筋のほうへ引っ越しをして、家店をしましたが、あまりいい成績でなく、また引っ越して、灘警察の向いに引っ越し、そこは店屋づくりでしたがもう商売はしませんでした。   工業学校へ行くようになると、ときどき父に代わって「軒店」の店番をしました。店番と言ってもただ漫然と坐っているだけではありません。  前に書いたように、売り買いの体裁を取ってはいますが、実質は「貸本」です。市場帰りと風呂帰りの人達が「お客」さんです。いわゆる「恋愛小説」「探偵小説」... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2016/01/02 06:15
「水泳・海水浴」のこと
 県工での夏休み前の行事は、教科としての「水泳・海水浴」です。  今と違って当時の梅雨明けははっきりしていました。七月上旬に梅雨明けの「豪雨」が降ります。これが上がり、試験が終わると、七月中旬の一週間が「海水浴」です。このあとすぐ夏の土用に入り「土用波」といって波が高くなるのです。今は土用の入り頃まで梅雨ですから、海水浴最適期間はいつなのでしょう。今は学校の水泳は、海でなくプールなのでしょうね。  神戸の中等学校は、殆どが「須磨」の海岸で、横並びに各校の専用「海水浴場」が連なっていました ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/30 09:08
「模型製作」のこと
 県工生時代流行ったのに「模型飛行機」がありました。簡単なのは 五ミリ×八ミリ位の白木の角木材を胴体にして、竹ひごを火であぶりながらまげた翼に紙を貼ります。ジョイント(継手)はアルミパイプです。ゴム紐を巻いて、プロペラで飛ばすのです。  級友(西宮在住)は部屋中「模型飛行機」。彼の家へいって色々教わりながら作るんですが、あれも集中力と根気がないと駄目です。  私などは流行に乗って、数機作ってみましたが、箱胴のような本格的なのはとてもできませんでした。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/28 11:59
「映画」のこと
 工業学校時代は父兄同伴でないと駄目という規則。兄も入営してしまうと、父は眼が悪いので映画は見ないので、映画は殆ど見る機会はありませんでした。  むしろ小学校五年生六年生の頃は、阪急神戸駅の阪急会館・ガード下の三宮劇場や三宮映画館もよく行きました。子供だから「エノケンやロッパ」などの喜劇が主。結構一人で行きました。「放浪時代」だけに自由もあったようです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/26 09:17
「製図器」のこと
 「製図器」は工業学校から会社勤めまで長くお世話になりました。コンピュータによる設計は定年間際、管理職になった後のことなので、「CAD」は出来ません。  製図器のシンボルは「T定規」でしょう。前半生はこの「T定規」と共に明け暮れしました。製図板の前で、左手で「T定規」を滑らせ、そこに三角定規を当てて線を引くのが、勉強であり仕事でした。後年製図器が縦型になり、上下に平行に動く定規がつくようになりましたが… ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/12/24 09:51
「機構学」のこと
 「機構学」はなかなか面白い学問です。「機械のカラクリの原理学」です。  「歯車」の歯形曲線「インボリュート曲線」などは一般の方はご存じないと思いますが、主動軸の回転を従動軸に「等速」でムラ無く伝えられるように考えられた曲線なのです。高速回転を伝えても変な振動が起きないのです。インボリュート曲線とは円筒に糸を巻き付け、ほどいていくときの糸の先端の軌跡です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/12/22 08:41
「機械科の実習」のこと
 「教室での学習」以外に「手仕上げ」「機械加工」「鋳造」「鍛造」などの実習があります。五〜六人づつに別れて、実習担当の先生に習うのです。  やすりかけ、たがね作業、旋盤、木工旋盤、ボール盤、フライス盤などを使います。たがね作業は苦手でした、たがねを左手で持ち、右手でハンマーで力一杯たがねの頭を打つのですが、外れると、左手を打って、血まみれです。一センチぐらいの丸棒を剪るのですが、上手な人は五〜六回でちぎり飛ばします。私は一本一〇分以上掛かりました。嫌でした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/21 10:48
「機械科専門科目」のこと
●原動機:  機械エネルギーの素です。イギリスのジェームズ・ワットの発明した「蒸気機関」が産業革命の原動力になりました。お湯を沸かし蒸気を再加熱したものをシリンダーに送り込みピストンを動かして「蒸気機関車」が走るのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/18 09:24
「漢詩・詩吟」のこと
 漢詩は詩吟ということで、当時は何となく覚え、親しんだものです。  詩吟もいろんな流派がありますが、当時は「木村岳風先生」が有名でした。たしか教本もあったように思います。  以下、詩吟での定番を三つ選びました。 ●題不識庵撃機山図  頼山陽 鞭声粛粛夜過河 暁見千兵擁大牙 遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇 不識庵(ふしきあん)機山(きざん)を撃(う)つの図(ず)に題(だい)す    頼山陽(らいさんよう) 鞭声(べんせい)粛粛(しゅくしゅく)夜(よる)河(かわ)を過(わた)る ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/12/16 10:22
「漢文」のこと
 漢文は中等学校ではじめて触れる学科です。漢字ばかりが並んで取っつき悪いのですが、朗読してみると、何か「格調が高い」という感じで「大人」の世界に入ったという気分になりました。  日常使われる言葉の中にある「ことわざ」や「四字熟語」などが、漢文の「故事来歴」にあるのを知り、また漢文を通じて「四書五経」などの「孔孟の教え」「史記」その他の知識も増えました。  漢詩を通して「杜甫」「李白」そのた「唐詩選」などを知り、我が国にも「漢詩」を作る文化が育ったことも知りました。  「日本書紀」以来、日本... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/14 09:13
「県工生活」のこと(三)
 休み時間に教室で「演歌の斉唱」…当時映画は見ることを禁止されていましたので(最初のうちは父兄同伴ならOKでしたが…)、青春のエネルギーの「はけ口」でしょう。いつともなし、誰が始めたのか判りませんが、机の上に腰掛けて、数人、時には十数人、大声で「流行歌」を歌います。先生方にも聞こえていたと思いますが、特にお叱りはありませんでした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/12 08:39
「県工生活」のこと(二)
 工業学校でも「修身」がありました、担当の先生は早稲田出身の「訓育補導」の怖い先生でした。  ところが、講義は楽しみでした、修身教科書はそっちのけで、毎週連続で「ギリシャ神話」の話です。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/10 23:56
「県工生活」のこと(一)
 当時は(入学時昭和一五年)何処も戦時色一杯でしたが「県工」も筋金入りの硬派でした。  兵庫駅から学校までの道では、二列縦隊で歩かなければなりません。三列以上横に並ぶのは御法度。途上上級生や先生に会えば挙手の敬礼です。隊を組んでいるときは最前列右翼の「歩調取れ」「頭(かしら)右」の号令で敬礼です。  教練は「配属将校」(現役の少尉か中尉)が一人、予備役将校がもう一人いました。「銃器庫」があり「三八式歩兵銃」(当時現役で使われていた型式)と少数の「騎兵銃」(短い)がありました。それを使って、銃... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/08 09:48
「ゲートル(脚絆)」のこと
 当時の中学生は、制服制帽、編上靴に「巻ゲートル」でした。「県工」の場合は、冬服は黒、夏服は霜降りの木綿サージ、長ズボンに「白」の巻ゲートルでした。「ゲートル」今は廃れてしまって、見かけることはありませんが、ネットでは売っています。ただし探したかぎりでは、「国防色」というか「カーキ色」しか見当たりません。白が懐かしいです。黒の制服に白のゲートル格好よかったですよ。  ネットに書いてあったのですが…「日本軍隊」に「規定」があったようです。  「被服保存手入要領」には…先ず、軍袴の膝の部分を持ち... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/06 08:55
「県工入学」のこと
 当時は従兄弟などに大学生はいなくて、進学についてはまったく親の言うままでした。  養子に行った叔父が、神戸製鋼所で「シカル盤工」(平削り盤工)をしていて、結構いい収入。父は小商いは不安定、手に職をつけるのが一番と、兄も「県工機械科」。私も当然のように「県工機械科」進学でした。  この頃は私立は県立・市立より格下で、二次志望校として「村野工業」というのがありましたが、父は厳しく二次受験させず、「県工」に受からなかったら、高等小学校(二年)へ行き、大阪の親戚の「呉服問屋」へ「奉公」だと言われて... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/12/04 09:23
「昭和一二年〜一五年・世の出来事」のこと
 私の小学校四年生から、県工(旧制中等学校)入学の時期です。 ●神風号:朝日新聞の「神風号」が、九四時間一七分五六秒の世界記録でロンドン到着。(一二・四・六) ●ヘレンケラー来日:盲聾唖の三重苦を乗り越え、障害者の教育・福祉の発展に尽くした人として有名。(一二・四・一五〜八・一〇) ●支那事変(日中戦争)勃発。(一二・七・七) ●慰問袋:戦地の兵隊さんへ児童生徒から慰問文や慰問袋をだすことが奨励されました。特に「女子生徒からの手紙」は喜ばれたようです。 ●千人針:入隊や出征する兵士に「... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/12/03 07:17
「神戸の河川の変遷」のこと
 私が生まれたのは「小野柄通」の筋向かい「御幸道三丁目」(以前本籍地がここだったので覚えている)だったようです。  東へ行くと「生田川(いくたがわ)公園」西へ行くと「そごう」「三宮駅」。ここの南北の通りは「フラワーロード」というようですが、昔は「滝道(たきみち)筋」といいました。  調べて見ると、明治の初めまでこちらに生田川が流れていたそうです。神戸の開港・神戸外国人居留地の整備を早急にはかるため「加納(かのう)宗七」という人が現在の位置に生田川を付け替える工事をしたといいます。そのため現在... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/30 08:33
「神戸の名所・街中」のこと(三)
●湊川公園と新開地:明治三八年に湊川の付け替え工事により、旧湊川河川敷を整地した街区で、北に「湊川公園」(明治四四年)南に「聚楽館」(大正二年)と映画館や飲食店の並ぶ繁華街でした。「エエトコええとこ聚楽館」という言葉があったくらいでした。戦後「進駐軍の接収」が長かったこともあって、神戸の中心が三宮に集約され、寂れたようです。 ●柳原のえべっさん:JR神戸駅の次の兵庫駅の近くには「柳原蛭子神社」があります。「えびす宮総本社・西宮神社」と大阪「今宮戎神社」が有名ですが、神戸も、ここが「柳原えびす」... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/28 10:19
「神戸の名所・街中」のこと(二)
●三宮から元町の繁華街:国鉄三ノ宮駅、阪急神戸、阪神三宮、「そごう百貨店」(昭和八年)。西へ商店街を進むと「生田神社」に通ずる「生田筋」を越え、次の「トアロード」の脇に「三宮神社」があります。その先が「神戸大丸」(昭和二年)。そこからスズラン灯の街灯がならぶ「元町商店街」が始まり、西の端に「三越」(大正一五年)がありました。この三越、調べて見ると元は「元町デパート」(大正一五年)で、当時一階入口で下駄を脱いで下足番に預けるシステムだったという。六階迄ある商店の客をさばききれなかったのではないでし... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/26 17:49
「神戸の名所・街中」のこと(一)
 昭和初年の時点での、記憶に基づいて…東から順に西へ。 ●銘酒どころ:西宮から灘区までの海岸沿いは、「灘五郷」といわれる灘の生一本「銘酒作りの里」。  日本盛・大関・黒松白鹿(辰馬)・白鷹・白雪・菊正宗・白鶴・剣菱・沢の鶴・金盃・富久娘・忠勇…  中でも大石川に「沢の鶴」三宮に「菊正宗」の大きいネオンの看板燈が建っていたのを思い出します。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/24 09:17
「神戸の名所・山関連」のこと
 昭和初年の時点での、記憶に基づいて…東から順に西へ。 ●六甲山:(九三一・二五米)ロープウェイ(昭和六年〜昭和一九年)で上がれます。上に六甲山ホテル(昭和四年)・神戸ゴルフ倶楽部(日本最古・明治三六年)があります。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/22 10:00
「ユダヤ人とロシアの紙幣」
 杉原千畝さんがユダヤ人に査証を書いたと言われるのが昭和一五年夏のこと。  昭和一三年六月水道筋に「ヘルスセンター」の先駆けのような「灘温泉」というのが出来ました。ときどき利用しました。ここで、ユダヤ人に出会いました。  当時ナチから逃れて、シベリヤ経由でしょうか、神戸の港からアメリカへ渡る船を待つ人達だったのだと思います。どこに泊まっていたのか判りませんが、外人だから目立ちます。特にユダヤの男の人は「髭もじゃ」ですから…  男の子は「割礼してるらしいよ」っと「学校」でも評判が立ちました。... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/20 08:46
「席順と友達」
 灘区稗田小学校五年生から六年生はクラス替え無く、持ち上がりでした。  この学校では、毎月テストをして、毎月席順が変わるのです。  成績順に窓際から廊下側へ。机は二人がけ四列で。成績一番から七番まで一列目、八番から十四番まで二列目というわけ。一つの列は身長の順に並びます。そんなに成績は変動がないので、結構同じ子と隣り合わせになります。そうして生涯の友人になった子が「お菓子屋」の子、○川君です。  水道筋には市場筋が三本あると書きましたが、そのうちの一つ「畑原市場」の中程の「菓子屋」です。母... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/18 10:26
「新しい母と連れ子」のこと
 脇浜から五年生の三学期。水道筋の軒店をまた借りることが出来たらしくそこで古本屋再開、すぐそばの岸地通の普通住宅に越してきました。  その翌年、昭和一四年六年生の夏「新しい母」が来ました、歳は生母と同じ。恥ずかしくって「お母さん」という呼びかけは六カ月以上かかったと思います。母は義姉になる四歳年上と、義弟になる十歳年下の二人の子を連れてきましたので、その引け目もあったのでしょう、世に言う「継子いじめ」は感じませんでした。かえって「遠慮」があったためか、私を呼ぶのに「○○さん」と名前はずっとさん... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/16 08:42
「脇浜」のこと
 灘区と葺合区(今の中央区)との境目が、岩屋と脇浜(わきのはま)町です。 岩屋の国道(国道二号線)沿いに「敏馬(みるめ)神社」があり、そのすぐ西が大阪野田から来た「阪神国道電車」の終点です。そのまたすぐ西が神戸市電の始点「脇浜」です。この辺りの海岸沿いは広大な「神戸製鋼所」の工場だったと思います。  そこから北(山側)へ少し上がったところの仕舞た屋に「二宮」から引っ越してきました。小学五年生です。父と兄と私の三人です。父はどこで何を商売していたのか、記憶にありません。  ここから「脇浜尋常... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/14 09:23
「転々転校」のこと
 大開小学校に始まって、小野柄、二宮、脇浜、そして稗田小学校と一年少しの間に、四回も転校したのですが、そんなに「いじめ」にあった覚えはありません。昔は「いじめ」は少なかったのでしょうか?もちろんガキ大将のようなのがいたり、からかいの言葉くらいはあったかと思いますが。親もよく、コロコロと転居したものです。  兄は「県立工業」ですから、市内どこに転居しても学校は変わりませんが、小学校は学区制ですから、遠距離通学は出来ません。そのたびに転校です。私は慣れてしまって、少しも苦になりませんでした。結構す... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/12 09:42
「サクラ」のこと
 二宮市場の家の時は、角店だったので、店先を「露天商」に貸していました。そのときは「ベーキングパウダー」というのを売っていました。「ふくらし粉」と呼んでいたものです。メリケン粉と混ぜてそこで「蒸しパン」など作って見せて、その「ベーキングパウダー」を売るわけです。決してインチキものではないのですが…口上が上手いので、皆立ち止まって見物はするのですが、なかなか「買う」声がかかりません。  「小父さん一つ頂戴」と威勢のいいおばさんが手を出すと、つられて何人か買っていきます。一五分もして客が入れ替わっ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/10 14:08
「二宮の店と五目並べ」のこと
 小学五年生の時、三ノ宮駅のすぐ北にある二宮神社の近くの市場に越してきました。この二宮市場の店は「端切れ屋」でした。要するに和服洋服を問わず一反二反の生地から一着作った残り切れです。それだけではブラウスもズボンも作れない半端切れです。  こんなのも「問屋街」へいつて仕入れてきて、店先の台に盛り上げておくと、市場に来たおばさん達に結構人気があるのです、当時は皆家で衣類を仕立てたり、袋物を作ったりすることが多かったので、そんな商売も成り立ったのでしょう。でも所詮「縁日」や「露店」で扱うような商売で... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/08 07:41
「阪神大水害」のこと
 昭和一三年七月五日、火曜日です、普通に小野柄小学校へ登校していました。五年生です。雨は三日ほど降り続いていましたが、こんなことになるとは夢にも思っていませんでした。  私は伯父のうち「古着屋」に居候中でした。  学校は鉄筋でしっかりしていました。新生田川遊園地という暗渠の川筋にあったのですが、浸水はゼロ。  …と言うのは、後で判ったことですが、数年前川筋を暗渠にした遊園地の、その入口が流木や土石流で詰まってしまい、山からの水が、低い旧生田川の「滝道筋」のほうへあふれてしまったのです。 ... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/06 09:17
「転々転居」のこと
 二人の子を抱え「連れあい」を亡くした父(四六歳、母三九歳死亡)は、どんな気持ちだったでしょう。  その上、ここのお店の成績もあまり良くなかったのだと思います。  「そごう」三ノ宮駅前のそばの商店街ですが、商店は何とか続いていますが、やはり今考えれば場末。商売は何といっても立地条件。人通りがないと駄目です。  妻を亡くしたうえ、商売も行き詰まった父はこれから一年の間、転々としました。  まず、どんな縁があったのか、兄の通う「県立工業学校」がある兵庫区大開通で「古本屋」に逆戻り。十四歳くら... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/04 09:01
「御詠歌の節(ふし)」のこと
 三歳児から覚えた、西国三十三ヶ所観音霊場の御詠歌は、一つの音譜では唱えられないのです。  五七五七七の和歌ですが、七音のところが言葉によって「三と四」か「四と三」に分けられ、節回しが変わるのです。 第一番青岸渡寺   ふだらくや きしうつ/なみは みくまのの なちの/おやまに ひびくたきつせ 第三番粉河寺   ちちははの めぐみも/ふかき こかわでら ほとけの/ちかい たのもしのみや  第八番長谷寺   いくたびも まいる/こころは はつせでら やまも/ちかいも ふかきたにがわ ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/11/02 17:03
「母の死」のこと
 母はやや病身で過ごしてきましたが、弟を産んだことで、ドット体が弱り、三ノ宮に越してきて一年で、亡くなりました。  病気は「肺壊疽(えそ)」と聞いてますが、入院することなく、暑い我が家の二階で、氷柱を立てて、介抱に努めたのですが、八月儚くなってしまいました。数え年四〇歳、満で三九歳の若さでした。  父が大きな声で「○○しかりせーよ」と叫ぶ声。誰かに言われて、死に水を母の唇に付けたこと、瞼に浮かびます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/10/31 08:51
「書道」のこと
 小学校四年生の時。「天地正大気」という藤田東湖の詩の一節を「書き方」展覧会に出しました。当分の間「軸表装」をして床の間にありました。  父も長兄、次兄ともそれなりに筆は立ちましたが…その中では私が一番下手です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/29 07:13
「支那事変(日中戦争)」のこと
 昭和一二年七月七日、盧溝橋事件発生は、母が病床にあった小学四年生の夏です。正直なところ、その日のことなど覚えていません。後の「大東亜戦争勃発」ほどの衝撃はありませんでした。これまで起こってきた「事変」の一つというぐらいの認識で、新聞は常に政府の「不拡大方針」を報じていましたので、これが昭和二〇年の敗戦まで続くとは思ってもいませんでした。  小学生にとっては、日常生活は「学校生活」が大半をしめ、放課後家のお手伝いということで、まだ世の中の動きなどは、関心もないし、理解も出来ないことでした。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 13 / トラックバック 0 / コメント 5

2015/10/25 09:03
「観艦式」のこと
 昭和一一年一〇月二九日、神戸沖で特別大演習観艦式。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/24 08:28
「口入れ屋」のこと
 「口入れ屋」とは「私設職業紹介所」です。大きな会社でなく個人商店とか、飲食店などに勤めたい人・住み込み奉公したい人は、地方から出て来てこの「口入れ屋」に相談します。ここは宿泊施設を持っていて、何日か泊めてその間に、あちらこちらの勤め先を紹介するようでした。  なぜこんな所を知っているかといいますと、ここの女将が、その宿泊人を「古着屋」に連れてきて、店員や奉公人にふさわしい衣装を買わせるのです。親切なようですが、実は鞘稼ぎをしているのです。あらかじめ連絡が来て、薦める衣裳類は「値札」を外させ、... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/21 09:01
「和服・着物」のこと
 三年ほど「古着屋の息子(居候も含めて)」をしていますと、和服・着物のこと色々覚えます。  呉服・呉服屋という言い方もありますね。昔、和服は「呉の国」から伝わってきたとか…  絹物は「お召し」「縮緬(ちりめん)」「錦紗」「羽二重」に始まって、普段着の「銘仙」は「秩父」「伊勢崎」「足柄」「桐生」などと関東平野の町の名前が並びます。  学校の地理でも「絹織物の集散地」で覚えさせられましたね。  紬(つむぎ)も産地で「結城紬」。「大島」も紬の一種ですが格が高い「泥大島」や「藍大島」ちょっと格下... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/19 16:15
「和服と符丁」のこと
 仕入れてきた品物の整理のお手伝いをしました。着物は後身頃、前身頃、袵(おくみ)、衿、袖というように、定形です。畳むのもそれに添って畳むわけです。  「袖畳み」というのは衿のところをつかまえて、後ろ身を中に前身と袵を表に畳み、袖をその上に折れば独りでも畳めます。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/17 11:30
「自転車旅行」のこと
 三ノ宮の小野柄通へ越してきたのが小学三年生の夏。十六インチの自分専用の自転車を買って貰いました。  しばらく、辺りを乗り回していましたが、我が家の唯一の田舎の親戚、市場村の伯母の家まで、一人で行ってみよう…と考えつきました。  地図で調べると、山陽道を下って明石から北へ道を取ると約四八キロ。時速一〇キロとして、五時間。休息昼食を一時間足して六時間。午前九時出発で午後三時。夕刻までには十分と計算して、晴天を選んでお弁当を作って貰い、出発しました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/15 08:50
「市場村の伯母宅」のこと
 神戸湊川から「神有電車三木線」終点の「三木福有橋」からバスで山越えしたところに「加東郡市場村○○」部落があります。  我が家のルーツもその近郷だったようですが…父の長姉が嫁いだのは、その辺りで「本家(ほんけ)」といわれる「元名主格」の家だったようです。御当主は風格のある方でしたが、若いときの暴飲が元で、私が知ったときは、「中風」で下半身不随。前庭に面した座敷に、寝たきりでした。  小作なども持っていて裕福だったのか、家財を使い果たしたのか判りませんが、家は蔵の二つもある農家ながら大きい家で... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/13 08:33
「修学旅行」のこと
 灘にいたときも修学旅行はありました。一年生は「須磨浦公園」二年生は「武庫川」でした。低学年は父兄同伴だったと思います。  三年生の修学旅行だけは思い出せません。ひょっとして転校で行けなかったのかも知れません。  「思ったよりちいさいな」と僕は思った…  これは四年生「奈良旅行」の後の「綴り方」(作文)の冒頭です。  父から「ぽっと出」というのを教わって書いたのです。普通なら「今日は待ちに待った奈良旅行の日です…」と書くのを、チョット工夫しました。  …大仏の前に立ったとき、考えていた... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/11 09:13
「南京虫」のこと
 神戸は港町ですから、貨物にくっついて侵入してきた「南京虫」には、どこの家庭でも対策に頭を悩ましました。  布団の回りに「小穴が一杯開いた」長さ三〇センチくらいの木切れを並べて寝ます。朝起きて、新聞紙を広げ、その木を拍子木のように叩いて、穴に入った「南京虫」を叩きだし、ひねり潰すのです。全然防御になっていませんが、毎日、「数」との戦いです。  のみ取り粉などはまったく効きません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/09 08:43
「弟の子守でご近所」のこと
 「乳母車」と言うのが一般的でしたが、うちは進んでいたのか、「ベビーカー」でした。赤子というのは動いているとご機嫌なので、よく押して近くを散歩しました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/07 08:30
「転校」のこと
 前にも述べましたが、教科書が「国定」なのでどこに移っても共通です。三年生夏休み明け二学期始めに教壇に立って「○○君今日から皆さんの仲間です」と言う紹介は恥ずかしかったが、何の抵抗も無しにクラスにとけこみました。家のすぐ近くの「小野柄小学校」です。遠くから来ると方言の違いなどで、からかいやいじめがあったかも知れませんが、灘から三ノ宮、隣町ですから…  当時は「級長」さんは先生の指名だったので、三学期には「級長」を勤めました。  四年生から理科が始まり、学校の予算が足りなかったのでしょう「掛図... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/05 08:54
「小野柄通の住まい」のこと
 三宮「そごう百貨店」の北側、省線「三ノ宮駅」の南側には阪神国道があり、市電が東に延びて脇浜迄。そこからは「阪神国道電車」が大阪まで延びています。  その「そごう」の南から東へ延びる商店街、山側は小野柄(おのえ)通、浜側は御幸(ごこう)通で八丁目から一丁目。そのはずれには生田川が流れていたのですが、昭和七年暗渠にして、その上は緑地化して公園になっていました。  転居先は小野柄通二丁目なので商店街とはいえ場末でした。間口二間の店舗から一回り大きくなり三間(五・四米)間口。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/10/03 15:58
「古着屋に転職」のこと
 このページから第二部「昭和一一年から終戦の昭和二〇年まで」になります。  「質屋の番頭」をしていた伯父が、独立して、三宮「そごう」の近く小野柄通六丁目で開店して、結果が上々だったようで、お前も近くへ来ないかと誘われたようです。  同じ小野柄通二丁目に三間間口の呉服店を構えました。その名は「○○や質流れ専門店」「正札の店」といいます。  当時は「質屋」で金を融通するのが庶民の金融でした。質種は鍋釜からといいますが一般には腕時計、貴金属、そして衣類が多かったようです。なにしろそっと「質屋」の... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/10/01 08:57
「古手屋」のこと
 「古手屋(ふるてや)」と言う商売があったようです。古道具も古着も扱うようです。父の若い頃、祖父はそんな商売だったのかもしれません。  …というのは、父は古い本箱などに、ペーパー(やすり紙)を掛け、「砥の粉(とのこ)」を塗り、乾かしてから、布でよく拭き取り、その上から刷毛で「ニス」を塗るのです。手慣れた感じだったので、今思うと古道具を扱う、そんな経験もあったのだと思います。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/29 08:39
「単位」のこと(三)
 電気の関係の単位は今も昔も変わりないようです。     電圧:ボルト。電流:アンペア。電力:ワット。  家庭用(交流)電圧:100V。工業用(三相交流)電圧220V。  交流配電の交流周波数が、日本中部の富士川・糸魚川辺りから東が50Hz(ヘルツ※)(昔はサイクルといった、正確にはサイクル毎秒)、西が60Hzに別れているのが不便でした。私共のように関西から関東へ引っ越すと、最悪、使えなかったりする器具もありました。今の家電やIT機器は機器の中で交流を直流に変換して使うようになってきました... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/09/27 10:29
「単位」のこと(二)
 圧力を表す単位は複雑です。身近に聞くのは「気象情報」の「低気圧」「高気圧」「台風」。 ●圧力:標準大気圧(一気圧)=760mmHg(水銀柱)でしたが、一九五四年に1,013.25hPa(ヘクトパスカル※)と定められました。これは760mmHgをパスカルに換算し、小数点以下の端数を切り捨てたもの。  気象関係では一時期ミリバール (mbar) が使われましたがヘクトパスカルに定着。1mbar=1hPa。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/25 10:10
「単位」のこと(一)
 度量衡(どりょうこう)とは、「長さ」「体積」「質量」を表しているのです。これら物理量の測定や、その単位のことを言います。  昭和初年でも「メートル法」と言われてきましたが、今はそのメートル法を厳密に定義した「国際単位系」(SI)というのに統一されてきました。  昭和初年にはまだ尺貫法やヤードポンドその他が対象によって使い分けられていました。 ●長さ:丈・尺・寸・分・厘・毛 一尺=約30.3cm、六尺=一間=約1.8m、六〇間=一町=約109m、三六町=一里=約3,927m。 ★和服関係... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/23 09:42
「関西弁・神戸弁」のこと(三)
 神戸に限らず、関西弁と言うことで子供の時、使っていた言葉を並べて見ます。 あかんたれ←駄目なヤツ あじない←美味しくない いちびる ←調子に乗る いらち← 短気者 えげつない←露骨な えらい←くたびれる おいど←お尻:もう死語かと思っていたら、最近、病院で看護師さんが使っててビックリ。 かしわ←鶏肉 けったい ←奇妙 こうと:質素で地味だが上品さもある様子(例)こうとな羽織/柄  これは「古着屋」のときよく聞いた。ちょっと特殊。 こける←転ぶ こそばい←くすぐったい ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/21 13:03
「関西弁・神戸弁」のこと(二)
 神戸では「居る」を「オル」といい。大阪では「オル」ともいいますが「イル」「イテル」となる方が多いようです。  大阪の「ハル敬語」が神戸では「テヤ敬語」に変わるのです。 (神戸弁←標準語→大阪弁) おってですか←いらっしゃいますか→いてはりますか おってやない←いらっしゃらない→いてはらへん し(知)っとってやない←知ってられない/ご存じない→しらはらへん 言うとってや←言ってられる→言うてはります  最後の「や」は下げて発音する。 もし、「や」を下げて発音せずに平板に発音すると、... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/18 22:00
「関西弁・神戸弁」のこと(一)
 広く「関西弁」といいますが、神戸にはまた独特の言い回しがあるようです。「神戸弁」といいますか、私は神戸で生まれ育ちましたので、何が神戸弁か自分では何も気がつかず使っていました。  大学が大阪でその後大阪に転居し、数年後東京へと引っ越しましたので、少しづつ「自分の言葉」と「回りの人の言葉」との違いがわかり、それに慣れて、自分も「大阪弁」を使ったり「東京言葉」を使って来ました。東京で六〇年住みましたが、残念ながらアクセントは仲々直りません。いまだに「ハシ」「クモ」のアクセントは判らないまま、大阪... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 8

2015/09/17 10:57
「昭和八年〜昭和一一年・世の出来事」のこと
 昭和八年三月二七日国際連盟脱退。これはまったく知りませんでした。幼稚園前の幼児では仕方ないか・・・  同年一月九日三原山投身自殺。八月一九日中等野球中京対明石延長二五回戦。一一月七日第一回みなとまつり。一二月二三日皇太子誕生。あたりが記憶の限界・・・  昭和九年五月三〇日東郷元帥死去、国葬。九月二一日室戸台風。大阪京都はひどかったようですが、学校も新築鉄筋で大丈夫。家も被害無し。  昭和一〇年五月二五日「大楠公六百年祭」。別記しました。  同年六月七日、事件ではありませんが、ラジオで「... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/15 20:58
「室内遊び」のこと
 碁は碁盤もなかったので、「五目並べ」ももう少し後。いや、紙に碁盤の目をかいて黒まる白丸を描いていけばいいんで、やっていたかも知れません。  将棋は「本将棋」を幼稚園の頃、筋向かいの「畳屋のお兄さん」にみっちり仕込まれました。それ以外にも、色んな遊びが出来ました。「歩回り」「将棋山崩し」「詰み将棋」などなど・・・  山崩しは、指先に集中して微妙なワザが要求されます。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/13 15:12
「灘小学校での行事」のこと
 クラスで「お話し会」というのを先生が発案しました。前へ出ていって教壇からみんなに「自分の知っているおとぎ話とか童話を話す」のです。  私は手を上げて話をしました。「脚はや」「遠目」「力持ち」が協力して宝ものを見つけ出すというお話しです。今調べてみると「グリム童話で六人の冒険物語」というのがあり、たぶんそれを簡略化して喋ったのだと思います。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/11 16:03
「炊事場・便所・暖房器」のこと
 なにしろ「冷蔵庫」がないんですから、調味料や乾物以外の生鮮食品は、「その日買い」です。「いりこ」などは袋に入れて天井から吊していました。猫や鼠にやられないため。  当時冷蔵庫と言えば「氷冷蔵庫」で、使用中ずっと上の棚に「氷」を入れておかなければなりません。そのためには毎日「氷屋」さんから「角氷」を配達して貰わなければなりません。食堂などの商売ではもちろん使用していましたが、一般家庭では、贅沢品でした。戦後になって使った気がします。  「電子レンジ」もありません。「ポット」もありません。熱源... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/09/09 00:03
「夜店」のこと
 熱い日差しが西に落ち、綺麗な夕焼け空を眺めて、父は「あれが西方極楽浄土だよ」と教えてくれていました。  「夜店」は「夏の夜の風物詩」とは言い得て妙です。子供にとっては極上の楽しみであり、思い出が詰まっています。  浴衣を着て下駄履きで、お小遣いを握りしめて。時には「隣のY子」ちゃんと手をつないで、今日は何を買おうかな・・・  食べ物屋は、ラムネ、冷やし飴、コールコーヒーの飲み物から、イカ焼き、ベビーカステラ、太鼓饅頭、綿あめ、板飴(型抜き飴をうまく割ると大きいのが貰える)、カルメ焼き、レ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/09/06 19:51
「浜」のこと
 家から五〜六〇〇メートルで、海岸です。当時はこの辺りは砂浜でなく、岸壁になっていました。いずれにしても下水処理が殆どされていなかったので、生活用水が流れてきて「泥どぶ」という異称が付いていました。  それでも兄は釣りが好きで、その頃から、岸壁で小さなイカなどを釣ったりしていました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/09/04 10:38
「下駄と傘」のこと
 「幼稚園」のところで、「朴歯の下駄」をかきましたが。子供の下駄は走り回ってよくちびるので、すげ替えの聞く下駄でした。  下駄で思い出すのは、「天気占い」。当時はずれが多かった「天気予報」に、「下駄」の方がよく当たるなどと言ったものでした。(下駄を飛ばして、表が出るとハレ、裏になると雨、横になると曇り)  大人の下駄は今「温泉旅館」などである形で「桐下駄」。軽いんです。  婦人用は細身で「塗り下駄」もありました。鼻緒も色々おしゃれが出来て・・・  女の子がお正月などハレの時に履くのが「こ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 4

2015/08/31 16:50
「おもちゃの刀・鉄砲・花火」のこと
 男の子ですからチャンバラはやりました。絶対安全なのが新聞紙を巻いて輪ゴムでとめたのを。輪ゴムのところが鍔です。これは本気で叩いてもそれ程痛くない。  なぜかこれは、外で遊んだようで無かった。布団が敷いてあるところで、跳ねたり転んだりして、遊んだ記憶があります。  あとは鉄砲です。鉄砲といっても、いろいろあります。  一番かわいらしいのが「水鉄砲」。  駄菓子屋で売っていた「杉鉄砲」「山吹鉄砲」。杉鉄砲の方が弾(タマ)が小さいので軸は針金だったと思います。杉の実(雄花の蕾)の方が大きさに... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/08/29 21:35
「露天商売」のこと(三)
 物を売るのでなく「買い取り屋」さん。「くず屋」さんです。「クズゥーイ・オハライ」。古新聞・ボロ切れだけでなく。殆ど何でも引き取ってくれるんです。  「竿秤」が生きていました。これは八百屋さん魚屋さんなどでも、目方で売るときは店先で、ちょいちょいと分銅を動かして量ったものです。メモリのところで竿がピンと上がったら、「おおまけ」です。当時の神戸辯でしょうか、少し安くすることを「オマケする」といいました。店先でのちょっとしたサービスです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/08/26 16:55
「露天商売」のこと(二)
 「鋳掛け」「靴修理」「下駄の歯のすげ替え」は、盛り場などの店先を借りて、一定の場所に定期的に来るという感じでした。ああいう「手仕事」は面白いので、しゃがみ込んで見入っていました。  「鋳掛け屋」は鍋や釜の穴が開いたのを修理する仕事で、木箱の鞴(ふいご)で風を送り小さな炉で、錫を溶かしたり、鉄やアルミをやわらかくして細工するようです。ふいごを軽々と操作するのなど興味津々でした。穴修理に使う「アルミのリベット」は夜店でも売っていました。・・・ということは、器用な人は自家で修理していたということで... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/08/24 16:20
「露天商売」のこと(一)
 「振り売り」といって、天秤棒を担いで売り歩く商売がまだありました。  当時「魚屋」さんが回ってきました。神戸は浜が近いので、結構新鮮なのが安く買えたようです。井戸端で水を借りながら、三枚におろしたり、刺身にしてくれるわけです。お鍋やお鉢でそのまま受け取れるので便利です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/08/22 15:24
「天理教」のこと
  あしきをはらうてたすけたまへ(悪しきを払うて救けたまえ)   てんりわうのみこと(天理王命)   ・・・・・・・・   ・・・・・・・・   あしきをはらうてたすけせきこむ(悪しきを払うて救けせきこむ)   いちれつすましてかんろだい(一列すまして甘露台)  母の姉の嫁ぎ先が奈良の「天理」でした。幼稚園の年の夏休みに、母と一週間ほど、泊まりに行ったことがあります。  町中「天理教」ですから、朝早く、大教会堂へお詣りをして、二百畳もあろうかと思われる本殿で、朝のお祈りを両手を前に... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/08/20 08:51
「上筒井界隈」のこと
 水道筋三丁目から西へとると六丁目が終わりで、阪急「西灘」その先「上筒井」が終点だった時期があります。その後「西灘」から「春日野道」「三ノ宮」終点と変わりました。「上筒井」からは市電が西へ、熊内町、滝道、加納町、三ノ宮へと通じていました。  一種のターミナルですからチョットした町でした。記憶にあるのは「ハイカラ堂」パン屋さんです。神戸は「ハイカラ」の町でしたから。その名もずばりです。「サンドイッチ」が珍しかった。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/08/18 16:40
「富山の置き薬」のこと
 「越中富山の万金丹」って何でしたっけ。半年に一度回ってくる「置き薬」。我が家でも重宝していました。使った分だけ後払い。また新しい薬を置いていってくれます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/08/16 09:39
「弟誕生」のこと
 昭和一一年二月二五日。弟が生まれました。小学校二年生だった私は、二階の母の寝床の脇に寝かされた、赤ん坊に見入りました。  第一印象。ア、この顔「将棋の駒」みたいだ・・・下ぶくれで・・・と思いました。まだ生まれたばかり、頭蓋骨が開ききっていない時だったのですかね。  戦後はほとんど「産院」で生むようになりましたが、当時は産婆さんが駆けつけてきて、我が家の二階が産室でした。  翌日が二・二六事件。幼い私にとっては、その事件の意味は理解できないものでしたが、世の中は騒然としていました。軍部が起... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/08/14 10:09
「宗教活動」のこと
 目立ったのは、数人で法華太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」と大声で称えながら、街中を大股で過ぎていく姿でした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/08/11 14:03
「演芸・芸能」のこと
 「映画館」いや当時は「活動写真」と言っていました。弁士がいたり、トーキーであったりという時代。  子供ですから、滅多に連れて行って貰えない。まして父は目がよくないので・・・兄はまだ県工二年生。  でも、何かしら二階は桟敷席、そこへの下足番と、スクリーン横の「巡査立合席」が印象に残っています。  休憩時間に、売り子が「おせんにキャラメル、ラムネにあんパン・・・」と言っていたような・・・絵にしてみました。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/08/09 15:13
「散髪」のこと
 「虎刈り」ってご存知ですか。頭を丸刈りにするとき。下手をして刈り残しがあちらこちらに残った状態を言います。  実際には、そうなることは少ないんですが、自家で散髪をして、いい加減で止めるとそうなります。  バリカンが切れなかったり、散髪する人が下手だと、刃と刃の間に髪の毛が挟まったまま、バリカンを前に進めるので「引っ張られて」痛いんです。文句をいうと「ここで止めると「虎刈り」になるよ」と驚かされて、辛抱するのです。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/08/07 10:44
「小学校低学年の教科」のこと
 「昭和」ですね。「修身」は最初からありました。  「キグチコヘイハ シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」  これは「死んでも忘れません」。  「国語」は 読み方、綴り方、書き方 に別れていて一二年生は読み方だけだったようです。綴り方も書き方・書道も三年生くらいからではなかったでしょうか?  「算術」「図画」「唱歌」「体操」は一年生からありましたね。  私は「絵」は上手かったけど「歌」は発声が悪く、高学年で「楽譜」テストがあるまでは、駄目で、当時一〇点満点の通知簿は、「体... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/08/05 13:32
「玩具」のこと
 おもちゃは色々買って貰いましたが、印象に残っているのを二つ書きます。  一つはコリントゲーム。パチンコと同じ仕組みです。これは下の方に一〇個ほどタマ(パチンコと同じ鋼球)を並べておいてスタートのところから付属の棒ではじき出す。入る場所に点数が書いてあり。合計点を競うのです。二人三人代わりばんこにするのです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/08/03 15:38
「駄菓子・お菓子」のこと
 どこまでを「駄菓子」と言うんでしょうか?  当時から変わらない「京都・大阪・神戸」のお土産。  京都・八ツ橋。父が「聖厳院でなきゃ」といっていました。大阪・岩おこし、二ツ井・津の清も有名だが、カチカチに硬いのが「あみだ池大黒」。この硬いのを「囓(かじ)る」のが何とも言えない「爽快感」。神戸・瓦せんべい。これは亀井堂総本舗。 注)「おたべ」などの「生八ツ橋」は戦後の発売。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/08/01 17:42
「大楠公祭」のこと
 昭和一〇年五月二五日。小学二年生の初夏。  楠公さんの「六百年祭」でした。武者行列を見に行きました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/30 13:36
「家事・裁縫・編物」のこと
 母は一日中休みなしです。朝早く起きて、ご飯を炊き。おかずや父と兄の弁当をつくる。掃除の合間に洗濯、今と違って重労働。井戸端で「たらい」に洗濯板。マルセル石けん(あれはマルセーユがなまったそうです)。それを二階の物干しまで・・・  三度の炊事と掃除・洗濯の合間は、縫い物、編み物、繕い物。市場へのお買い物。息子の教室のぞき・・・お店番は、お客が来たときだけ・・・  そして時々、洗い張り仕立て直し、布団綿を引っ張り出して「打ち直し」を頼んで、また縫い合わせ。  ときどき国防婦人会に行っていまし... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 5

2015/07/27 21:56
「漫画」のこと
 本屋の子も小説だけでなく、漫画も好きです。  何といっても当時は、田河水泡の「のらくろ」。少年倶楽部連載です。  「のらくろ」は昭和八年から昭和一一年の間に、伍長から少尉まで昇進しています。失敗して重営倉に入れられたりしますが、何しろ出世物語ですから面白いです。「太閤記」と同じです。新兵(二等卒)から毎年一階級づつ昇進するのです。  特別付録などで「のらくろ」が入営する以前の話などもあって、連載だけでなく単行本も出ていましたから、何度も何度も読みました。  田河水泡は「のらくろ」だけで... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 11 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/25 15:26
「野球と相撲」のこと
 神戸ッ子ですから当然の事ながら「阪神タイガース」ファンです・・・というわけにもいきません。私の親友は(もちろん神戸生まれの)「阪急ブレーブス」ファンでした。いまならさしずめ「オリックス」でしょう。  今年「阪神タイガース球団創設八〇周年」ということで盛り上がっていますが、昭和一〇年一二月創立。翌昭和一一年プロ野球リーグ戦が始まったようですが、全然記憶にありません。  野球といえば「ラジオでの実況中継」。「早慶戦」はやはり東京のもの。何といっても「全国中等野球」「春夏甲子園」でした。  昭... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/23 10:30
「二枚の絵」のこと
 定年退職後、「淡彩スケッチ」と呼ぶ水彩画を二五年間習いました。  絵を習ったのは工業学校二年生っきりで、六十の手習いです。でも小学校では一応上手い方でした。一年生と二年生の間に二回、どこかの展覧会に出して、銀賞と入選でした。人生、今まで金メダルは一度も貰ったことがありません。  思い出して描いてみました。題が長いんです「阪神パーク・オウムのラジオ体操」 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/07/21 13:11
「掃除」のこと
 「大掃除」。当時神戸では本格的な夏が来る前に、町内揃って一日がかりで行いました。  道路、道端へ畳を干すのです。当然雨天順延だったでしょう。棚のものは下ろし、押入れも空にして、掃いて拭く、箪笥の上のものには、まずハタキをかけ、そして濡れ雑巾で拭く。  何しろ掃除機がないんですから、埃が立つことは凄まじい。平生の畳掃除でも新聞紙を千切って(あるいは茶殻を)濡らして、それを撒いてそれに塵芥を絡ませて掃くのです。畳を上げた床は掃き清めた上に、新しい新聞紙を敷きます。これは湿気防止だと聞いていまし... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/18 14:03
「東郷元帥」のこと
 昭和九年五月三〇日「東郷元帥死去」の報は小学校一年生のときでした。「国葬」という言葉を初めて知りました。「日露日本海海戦の立役者。連合艦隊司令長官、東郷平八郎」は「幼年倶楽部」「少年倶楽部」でお馴染みの顔。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/16 12:55
「親戚の米屋」のこと
 熊内町に父の妹の嫁ぎ先の米屋がありました。  月一回程度、叔父さんが自転車で米を配達に來ていました。  三〇キロの袋を後ろの荷台に積んでくるのです。普通の自転車ではハンドルが上がってしまって危険です。重量物運搬用のものすごく頑丈な自転車でした。  米一俵は四斗、重さにして一六貫目・六〇キロです。  三〇キロは二斗ですから、四人家族一日一升炊くと二十日で無くなります。八合で二十五日です。米びつはブリキ製のモノで今計算するとやはり二斗(三六リットル)入ります。(一升は一・八リットル) ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/14 08:49
「寝起き」のこと
 八八歳、このごろ「お昼寝」します。  幼稚園の頃までは「お昼寝」をさせられていました。  さきほど「昼寝」から目覚めるとき、・・・と感じるものがありました。「デジャビュー(既視感)」ではありませんが。幼児のときの「目覚め」感がよぎりました。 ...続きを見る

かわいい ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/12 19:33
「文房具」のこと
 当時(昭和一〇年前後)と今と変わらないモノ。当時あって今使わないモノ。その逆。  「鉛筆」変りませんね。緑の「三菱鉛筆」(後に「ユニ」がでて紫が主流に)。黄色で消しゴムが頭に付いた「トンボ鉛筆」。  筆墨などの書道用品も変わりません。色鉛筆・クレヨン・クレパスも健在。  サインペン、マジックペン、蛍光ペンはありませんでした。  万年筆は中学生以上でした。いまはもう嗜好品の段階。ボールペンも無かったですね。  セロテープなどもなかったですね。そろばんは「五つ玉」でした。  フエキ糊っ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 5

2015/07/10 12:32
「お隣り」のこと
 お隣にF美容院があり、母より若い美人の美容師さんが営業していました。「パーマネント」が流行り始めた頃です。旦那は川○製鉄の薄板工場に勤める人でした。  一人娘のY子ちゃんは私の幼馴染・ガールフレンドでした。私が幼稚園児、満五歳で彼女は二歳年下の三歳。外遊びの苦手な私には格好のあそび相手でした。  二階の裏の物干し場が通路、柵を潜って、こちらからの訪問が多かったようです。一人っ子で甘やかされて、男の衣装を着たがって、しょっちゅうズボン姿でした。女の子に合わせて部屋の中での遊びはママゴト。残念... ...続きを見る

かわいい ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/07/08 11:04
「食堂」のこと
 素うどん一杯四銭の話を書きましたが、当時の食堂のことを少し書いてみましょう。  まず「うどん屋」はたくさんありましたが、「そば屋」は知りませんでした。多分、うどん屋で扱っていたと思いますが・・・  父が「そばアレルギー」で駄目だったので、名前は知っていましたが、蕎麦そのものには全然関心がありませんでした。  私のお蕎麦初体験は、大学を出て就職後、大阪心斎橋の「正弁丹吾(しょうべんたんご)亭」へガールフレンド(うちのカミさんです)に連れて行かれて「ざるそば」の美味しいのにびっくり・・・今で... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/07/06 08:56
「くくり猿」のこと
 今日発見しました。先日掲載した「神社とお祭り」の中で記述した、お祭りで母に作って貰った「猿のぬいぐるみ」。  庚申さんのお守りで「くくり猿」というのだそうです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/07/04 18:36
「ハイキング」のこと
 昭和一〇年前後のこのころ、父が率先して「健康ハイク」ということで。日曜日には、一家で「おむすび弁当」を作って裏山「摩耶山」と「布引の滝」のほうへ出掛けました。  摩耶山は「ケーブルカー」があります。そこから山上の「とうり天上寺」日本で唯一釈迦の母「摩耶夫人」を祀ったお寺です。けっこう細い林間の山道を辿ります。  見晴台では神戸とその海が間近に望めます。子供って意外に歩けるんです。今の私はもう駄目ですが・・・短い脚で岩場や階段を上り下り・・・ ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/07/03 15:30
「小学一年二年生の唱歌」のこと
 「ドドレレミミレ ミミソソララソ…」  これは私がハーモニカで吹ける、ピアノでたたける、唯一の音譜です。  一年生で習った唱歌「日の丸の旗」でした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 10 / トラックバック 0 / コメント 4

2015/07/01 11:03
「神社とお祭り」のこと
もう一度地図を出しておきましょう。(敏馬神社追加) ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/29 13:40
「お正月」のこと
 まず「注連(しめ)飾り」。表に大きい「ごぼう飾り」を。裏口、ご不浄、台所、自転車などに輪飾りをします。  表左右に松飾り、このあたりは今もなさっているところ多いと思いますが。以前は何処のうちも飾りました。  「松竹たてて門毎に・・・」大きい商店や銀行会社は、今もあるように松竹飾りですが、一般の家庭では、竹は飾りません。  国旗は立てます。旗竿は竹竿に黒の縞目、旗頭には金ぴかの球を付けます。  「門幕」(かどまく)。見かけなくなりましたね。これは復活して欲しいモノです。  我が家の家紋... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 9 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/06/27 13:04
「しつけ」のこと
 「おはようございます」「いってまいります」「ただいま(かえりました)」「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみなさい」はキチンと躾けられました。  食事のときは「正座」でした。  下駄を揃える。とくによそのうちへ上がったときは「キチンと逆向きに揃えておく」というのは、なかなか身につきませんでした。あれは屈むのがシンドイのです。  大人になって靴履きになっても同じこと。きちんと揃えている人を見ると尊敬します。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/06/26 08:36
「お友達の家」のこと
 小学一年生二年生のとき、同級生に「お金持ちのうち」の子がいました。  ○浜君のうちです。門構えで、塀をめぐらせ、ガレージもあり、庭を囲んでコの字型の間取りで、廊下が続き。もちろん子供部屋もあります。ここで一番びっくりは「女中部屋」の「呼び鈴表示板」でした。スゴいお屋敷でした。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/24 13:13
「食事」のこと(二)
 当時食べていた、今も好物のレシピを思いつくまま・・・  一、玉子焼き:玉子二個、醤油数滴/出汁類なし/白身がある程度分離している程度に混ぜ/玉子焼き器で巻きながら焼く/焼き過ぎない/六切れに切る。  二、杓子菜(しろ菜)と「薄あげ」の煮物:醤油味/砂糖入れない/出汁は「いりこだし」。  三、粕汁:酒の板粕/鰤(ぶりの切り身をさっと焼いて一口に切り分け)なければ塩鮭・大根・人参・蒟蒻・「焼いた」薄あげ(ぶり以外は拍子切り)。薄あげを焼くのが美味しくするコツ。お出汁は「いりこ」塩味で、ちょっ... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/06/22 17:16
「食事と栄養」のこと
 小学一年生、校庭で多分朝礼のとき、脳貧血で倒れたことがあります。ちょっと肥満(デブ)でしたが、きっと栄養失調気味だったのでしょう。衛生室に担ぎ込まれ、足を枕の上に置いて寝かされ、葡萄酒?みたいなものを飲まされたような気がします。  今から考えると、このころの食事は品数が少なく粗末でした。そのかわりご飯は三杯以上食べるのが普通で、二杯で止めると「どうしたの?」といわれました。  「居候 三杯目にはそっと出し」という「ことわざ」がありましたね。  父は脚気を患いビタミンB1を補うため当時流行... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/06/20 10:54
「家」のこと
 まず間取り。一階の表の店は間口二間(3.6m)の奥行き一間半(2.7m)の三坪。その奥が縦長六畳だったか、その横が二階への階段があり、階段下は押し入れ。その奥は炊事場とトイレ、二階は六畳、四畳半と二間の気がします。(そんなに広くなかったようにも思いますが・・・) ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/06/18 17:51
「駄菓子」のこと
 おやつを母が用意してくれるのは稀で、時分どきは一銭銅貨を握って駄菓子屋へ。  印象に残っているのは「あてもの」。一センチ四角に切ってある紙切れ、表面に鯛が印刷してある。紙をめくると海老じるしは「スカ」。小さい羊羹一切れ。イカ、タコなどもあり大当たりは「鯛」だが当たった記憶がない。  風呂屋の近くには「一銭洋食」の店があった。お好み焼きの原形。鉄板に先ず油を引いて、メリケン粉を直径一〇センチに薄くのばす。削り節の粉をパラパラまく、青ネギ、桜えび、紅ショウガ、天かす、味の中心は正体不明の(たぶ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 5

2015/06/17 13:37
「そと遊び」のこと
 さきにご近所の地図を書いた時、二つの遊び場の場所を書いておきました。近くの方は猿田彦神社(さるたひこさん)のそばで、紙芝居が来る広場でもありました。拍子木の音が聞こえます。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 5

2015/06/16 11:18
「小学校入学」のこと
 筋向かいの「西灘尋常小学校」に入学したのは、昭和九年春。担任は女性の小○先生。二年生まで持ち上がりでした。  入学前の、テストというか、面接を覚えています。茶色の木製らしい円盤が並べられてあり、これを重い順に並べなさいと言う。よく見ると側面に「A」「B」「C」「D」と印刷してあるのです。子供だから判らないと思って・・・私は「なんだこれずるいよ」とその時思いました。古本屋の子は「ABC」も読めるんです。  教室は、黒板、教壇、机椅子、オルガン・・・と今と殆ど変わりません。ただ定員四〇人を超え... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/06/15 18:09
「衛生博覧会」のこと
 知っている人はこの表題を見て、笑みを浮かべることでしょう。  記憶はおぼろですが、近くの「阪神電車・西灘駅」のガード下にこの看板がありました。会場はどこだったか覚えてはいません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/14 18:15
「お風呂屋さん」のこと
 すぐ近くに「銭湯」がありました。幼稚園の頃までは母と一緒に「女湯」に行くこともありました。  脱衣場は、番台や、大鏡、体重計など今と同じ。ただロッカー式でなく、籠に入れて棚に並べる式です。  当時の「銭湯」は今のように「壁際の蛇口やシャワーの洗い場」はなく、湯船の回りに腰掛けて、備え付けの木の桶で浴槽から湯を汲みながら、持っていった石鹸とタオルで体を洗うという仕組みでした。  すべてタイル張りでした、東京のような富士山の壁絵などはありませんでした。  男湯女湯は高い壁で仕切られています... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 8 / トラックバック 0 / コメント 5

2015/06/13 06:07
「歌謡曲」のこと
 子どもって、結構大人の「歌謡曲」好きなんです。幼稚園で童謡。小学校で唱歌。でも路地では「流行歌」です。  一九三三年(昭和八年)から一九三六年(昭和一一年)迄で拾ってみたのですが、この時期、佳いのが沢山ありますね。  一番はなんといっても「忘れちゃいやよ」昭和一一年、渡辺はま子。発禁とか上演禁止になったんです。そういうことが逆に、流行を呼ぶんですね。   月が鏡で あったなら 恋しあなたの 面影を   夜毎うつして 見ようもの こんな気持ちで いるわたし   ね、忘れちゃ嫌よ 忘れな... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 4

2015/06/13 06:02
「古本屋で売ってる新刊書」のこと
 古本屋ですが、新しいのも少し置いています。  「暦」。毎年一冊づつ新しいのが出る定期本で「神宮館」とか「高島易断」とか書いてあるものです。「大安」「仏滅」「友引」など自分が気にしなくても、世間様が気にされることがありますので、当時は一家に一冊必携という感じでした。  年末近くになると、父が何処かから仕入れてくるのです。いや売り込みがあったのかも知れません。  「絵本」は「講談社の絵本」のような立派なのでなくて「どうぶつ」「じどうしゃ」など一〇ページくらいの安物です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/06/12 13:35
「挿絵画家」のこと
 当時の雑誌の挿絵は素晴らしいものでした。兄との遊びは六歳も離れているので、なかなか共通点は無いのですが、この「雑誌の挿絵画家の当てっこ」というのをよくやりました。  雑誌を開けて、挿絵作家の名前のところを伏せて、この絵「だーれ」とやるわけです。  大人の雑誌から「幼年クラブ」まで店には何十冊という雑誌が山積みになっていますので、材料には事欠きません。  超有名どころは、岩田専太郎、志村立美の両雄。斎藤五百枝、梁川剛一、樺島勝一、林唯一、小林秀恒、伊藤幾久造。綺麗な絵は高畠華宵、山口将吉郎... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/11 16:43
「大衆小説とその値段」のこと
 昭和初年は「円本」という時代でした。全集モノが一冊一円で続々と各社から発行されました。古本になると、よくて半額。大量に出回ったのは大体二〇銭から三〇銭。「世界文学全集」(新潮社)などは古本屋の「棚埋め」に使われました。  うちの店では風呂帰りや、市場帰りのおばさんが主流の「大衆小説」商いですから、なじみは平凡社の「日本大衆文学全集」、新潮社の「現代長編小説全集」、講談社の「講談全集」などなど。  個人全集も盛んで「菊池寛全集」「村上浪六全集」「怪奇探偵ルパン全集」なんてのもありました。 ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/10 14:50
「もっと幼いとき」のこと
 先に「ラジオの株式市況が始まったらおじいさんに消せと言われた」と書きました。これが祖父の死ぬ前、昭和六年、満三〜四歳の頃です。  すき焼きの「肉の味のしみた糸こんにゃく」のことを「にくんちゃん」と言って、好んで食べていたようです。  その頃の写真が一枚残っています。戦災で写真類全部なくしましたが、伯父の家に残っていた「貴重品」です。しかも日付付きです。 昭和六年二月二〇日。満三歳三ヶ月です。まだ祖父が生きていた時分。路地をでたところにある「写真館」で撮ったものです。お昼寝の後に連れて行った... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/09 20:10
「家族」のこと
 父は私と同じ卯年三六歳違い。母は七つ年下で戌。兄は私より六つ上で酉、弟が昭和一一年に生まれたので子年です。  父は中肉中背ですこし太り気味。嬰児のとき眼を患い、近視ではないのですが両眼とも〇・一以下だったようです。それでも一人でどこにでも行きました。母はよく「うちのお父さん、目が悪くなかったら、総理大臣や・・」と私たちに言っていました。  父は平生はやはり和服でした。 正装は紋付き、羽織袴で、黒繻子(しゅす)の足袋。履物は下駄。草履もあったかも知れませんが、覚えていません。冬はその上に「と... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/08 17:34
「仮名をおぼえる」こと
 先に「古本屋の子だからもう字は読めました」と書きましたがちょっと正確ではありません。  祖父が生きていたころ、私の満三〜四歳のころ、隣に伯父さん家族も住んでいました。大家族制の名残でしょうか。その頃は、月命日とか年忌とかいって、しょっちゅう我が家では、いや隣へ行ったのかな、数人仏壇の前に座って「御詠歌」というのをあげるんです( 唱えるんです)。神戸ですから「西国三十三ヶ所霊場」の御詠歌です。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/07 16:10
「古本屋の出店(でみせ)」のこと
 父は、家の古本屋を母に任せ、坂をまっすぐ上がって、灘の国鉄貨物操車場の下の長いガードをくぐり、その先の「水道筋三丁目」というちょっと盛り場というか、市場(京都の錦市場のような屋根のついた路地商店街)が三本もある賑やかなところの角の寿司屋の脇、奥行き半間(90cm)、間口一間半(2.7m)の軒店、古本屋を開いていました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/06 14:22
「向こう三軒両隣」のこと
 我が家は坂の途中。国道から次の辻まで、チョット急坂です。  店のすぐ前は幅三〇センチ深さ四〇センチ位の側溝があり、もちろん間口一杯はコンクリの蓋がありますが、脇に露出部分があります。坂道ですから結構速い流れがありました。どこから流れ出した水か、当然家庭排水・工場排水もあったかと思いますが、夏場はその水を夕方には店先に撒いて涼を取ったものです。脇には「やつで」などの鉢がありました。  ご近所の紹介。国道の南側斜向かいにはデンと、鉄筋コンクリートに新築なった「西灘小学校」があります。三年生の夏... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/06/05 11:18
「幼稚園」のこと
 「みどり幼稚園」は山の方へ省線の貨物操車場の下をくぐる長いトンネルを抜けた先、隣の校区「稗田(ひえだ)」にありました。往き帰りは「ヒトリポッチ」でした。  年少組というのもあったようですが、私は一年間(年長組)だけでした。担当は女の先生で和服・袴。「なでしこ組」でした。「お遊戯」「歌のお稽古」「お絵かき」・・・「砂場」ってありましたね。  お絵かきは、写生やスケッチはなかったと思います。今でもそうでしょうか? 想像で描かせるから、変な絵になるんですよね。  私の得意は「戦艦陸奥」。たぶん... ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 4

2015/06/04 05:22
「みなとまつり」のこと
 阪神電車地下化開通の話、昭和八年六月。私の幼稚園児の時だったことを発見した驚きは、まだ続きます。  昭和八年一一月七日「第一回神戸みなとまつり」が開かれました。  この時の「みなとまつり音頭」。今でも歌えます。   神戸みなとは 街から街へ ヨイヤサ   港まつりの 港まつりの 日がつづく   港まつりの 日がつづく 港まつりの   ヨイヨイヨイヨイ 日がつづく  ただ、覚えていたのは「日がつづく」でなく「日が暮れる」でしたが・・・  西条八十作詞、佐々木紅華作曲。   神戸... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/06/03 09:40
「馬力(荷馬車)」のこと
 家の前はちょっと急な坂で、トラックも走りましたが、まだ馬力(ばりき)という「荷車を馬が引いている」のが多く見られ、空車の時はイイのですが、荷物が多いときなど「馬力引き」が荷台から降りて、坂の手前から弾みをつけて、ハイよッ!と鞭を振るって上がってきます。  「馬力引き」って「差別用語」みたい・・・ 今はお祭りでよく見かける「半纏・股引」姿で、ときに「鉢巻き」。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/06/02 13:10
「自動車」のこと
 バスの運転手のギヤチェンジやクラッチ操作も、興味の的でした。  どこかの遊園地で子供用「自動車」(もちろん電池で)に乗って運転するのがあって、結構高かったのであまり乗せてもらえず、憧れの遊びで、運転して、とっても嬉しかった記憶があります。  でも「僕、運転手になりたい」とは言いませんでした。  そう言えば、あのバスや自動車の排気ガスが何となく好きで、わざわざ後ろへ回って、クンクン嗅いだ覚えがあります。  当時自動車はアメリカ製が殆どで、もちろんベンツもあったはずですが、シボレーだかフォ... ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/06/02 12:54
「電車」のこと
 我が家のすぐそばの阪神国道に「阪神国道電車」という「阪神電車」とは別の路面電車が「大阪野田」から「神戸脇浜」まで走っていました。   その頃から盛り場だった「三ノ宮」へは「市バス」でなく「阪神バス」が通っていました。バス停の名前は「西灘尋常小学校前」。 市電は脇浜(灘区と葺合区の境目)から西の方しか走っていません。六銭。回数券は四銭(もしかすると子供用回数券)。市バスは九銭。市バスから市電への乗継ぎは無料。市電同士は乗換切符が出て、どこまでも六銭。  路面電車(市電)は車掌が後ろに乗って... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

2015/05/31 17:39
「裏の路地」のこと
 裏口から出たところの路地裏の思い出。  母は自分や父の普段着を家でほどいて、洗い張りをするのが日常でした。「板張り」や、特に「伸子(しんし)ばり」のお手伝いをしました。糊つけと伸子の装着などです。あの針、気を付けないと結構痛いのです。  筋向かいの薬局へ「のり」を買いにいきます。  大きい茶色の甕(かめ)の中の水中にプカプカ、手の平に乗るくらいのレモンの実のような形の白い「糊」の塊です。  これを小さな金盥でつぶして、一二センチくらいの幅の刷毛で「のりつけ」するんです。 ※「伸子張り... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 4

2015/05/30 15:04
「炊事場」のこと
 昭和八年。ガスはきていました。台所は店の奥の六畳間の、そのまた奥が土間になっていて簀の子板を敷いて、そこに流し台があって今とほぼ同じ立ってする炊事場(っていってました)でした、水道、ガスでした。  ちょっと思い出しながら絵にしてみました。流し台はセメントに白い石の粒が交じっている「研ぎ出し」というタイプ。当時では上等の方、木枠にブリキ板を貼ったのが一般的でした。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

2015/05/28 18:30
「電気・ラジオ」のこと
 前回、二階が明るいと書きましたが、昭和八〜九年頃、私たちの家の電気は、市の電気局でなく、阪神電車からの供給でした。電球に阪神電車のマークがついていました。  そして定額灯といって、支給の四〇ワットくらいのW型にフィラメントが見える透明裸電球で、午後四時頃になるとパット点くわけです。タマが切れると、二〜三百メートル離れた事務所へ交換に行かされたものです。  店の奥の間は昼間薄暗かったのです。で、二階で本を読んでました。  もちろんその頃も「メーター制」といって昼間も電気がくる契約もありまし... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/05/27 18:04
昭和一〇年前後、神戸市灘区で幕開けです
 舞台は、とりあえず昭和一〇年前後、神戸市灘区です。私の家は「西灘尋常小学校」と阪神国道(今の国道二号線)を挟んだ筋向いの、古本屋です。  国道から山側(がわ)へ(神戸は北は山側、南は浜側といいます)直角に登り坂になった道筋の角から二軒目の二間(3.6m)間口、ガラス戸四枚二階建の平凡な場末の古本屋で、父母と六歳上の兄との四人暮らしでした。 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 5

2015/05/27 14:17
はじめまして
 昭和二年(一九二七年)生まれ。昨年数えの八八歳で米寿のお祝いをして頂きました。今年は未だ誕生日が来ないので、今現在は満で八七歳、男です。  この頃になって、幼児の頃のことをよく思い出すようになりました。  子がいないので、私の思い出を何処かに残しておきたくなり、これはインターネットだ、と思いつきました。  取り敢えずは昭和一〇年前後、私の幼稚園時代から小学校低学年の頃の思い出を少年の眼で描いてみます。  同年配の方、ご覧になっている方は数少ないでしょうが、同時期の幼児体験をお持ちの方な... ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 16 / トラックバック 0 / コメント 0

2015/05/27 11:46

トップへ | みんなの「生活」ブログ

88歳:昭和/平成の思い出をつづる 生活のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる