88歳:昭和/平成の思い出をつづる

アクセスカウンタ

zoom RSS 【海外旅行】聖地イスラエル一周の旅日記(6/7)

<<   作成日時 : 2017/05/07 12:44   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

【第6日】1987/8/4(火)エルサレム滞在

 08:30ホテル出発→スコーブス山→オリーブ山→ゲッセマネの園→ケデロンの谷→10:45西の壁(嘆きの壁)11:15→旧市街アラブ地区とユダヤ地区を歩く→11:45園の墓12:05→12:25昼食(中華料理・君子堂(マンダリン))13:55→ヴィア・ドロローサ→聖墳墓教会→ヤッフォ門にて解散→荷物を置きにタクシーでホテルへ→町に戻り土産物を買う→ホテル19:00食事のあと→歌と踊りのナイトショー(オプション)23:45ホテルに戻り。シャワー。就寝。
画像

●エルサレムJERUSALEM
 標高760メートルの丘陵地帯にある。ヘブライ語で「平和の都」を意味する。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地として、重要な役割を占めている。第一次中東戦争後は、旧市街はヨルダン領、新市街はイスラエル領と分かれていたが、1967年の第三次中東戦争以降は、イスラエルがヨルダン領を取り戻している。現在はイスラエルの首都として、行政機関が集まっている。歴史的な町だけに、見どころが多い。

★オリーブ山Mt. Olive
 エルサレムの東にある小高い丘。標高825メートル。名の通りオリーブの木が茂る美しい丘。「旧約」サムエル記に、ダビデ王が礼拝した場所として登場するほか、ソロモンが自分の異邦の妻たちのために偶像を祀ったことが記されている。最後の晩餐の後、イエスが弟子たちを連れ、最後の説教を行った所である。挿絵は「スコープス山」から見た「オリーブ山」。左端の高い塔は「ロシア教会」そこから右の方に「昇天教会」「主の祈り教会」「主の泣かれた教会」などがある。
画像

画像

★ゲッセマネの園Garden of Gethemane
 ゲッセマネとは「油絞り器」という意味で、おそらくここにオリーブ山で集めたオリーブの実から油を採取する装置があったものと思われる。

◆マタイ福音書から「ゲッセマネの園」
 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。……イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。

★万国民の教会Church of All Nations
 各国からの献金で建てられたのでこの名がある。別名「苦悩の教会」(Church of Agony)とも呼ばれている。イエスはこの教会の祭壇の前あたりで、最後の夜を苦悩のうちに過ごしたといわれる。細い径の左側の小さい門を潜ると、手入れの行き届いた中庭に8本のオリーブの老木がある。現在の建物は1919年に建てられたが、4世紀終わりに建てられたバジリカの形が生かされており、多くの遺物が保存されている。教会を飾るモザイクもビザンチン時代の手法を真似たもの。祭壇の前の大きな岩はイエスが祈っていた石だとされている。挿絵は「教会内部」。
画像

◆マタイ福音書から「からし種の話」
 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」。挿絵は黒からしの花(ケシの種より小さい「からし種が採れる)
画像

★ケデロンの谷Kedron River
 ゲッセマネと旧市街の間にある谷。この付近には「第一神殿」や「第二神殿」時代の墓が多い。墓は洞窟の中にある。死体を置いて、墓を石で覆い、骨になってから集めて石の棺に収めるのが当時のやり方。有名なダビデの息子「アブサロムの墓」「ヘジル人の墓」「ゼカリアの墓」が並んでいる。

★アブサロムの墓Absalom's Pillar
 ダビデの第3子で、過激な性格の持ち主であった。異母兄アムノンを殺し、母の郷里に逃れていたが、ヨアブのとりなしでエルサレムに帰ることを許されたが、王位を望んでヘブロンにおいて叛乱を起こし、父ダビデを悩ませる。ダビデの勇士たちと戦って敗れ、ケデロンの谷に葬られる。
画像

 ケデロンの谷で出会った「祝日に着飾ったアラブの少女」
画像

★ギホンの泉Gihon Spring
 糞門から出て、ケデロンの谷の方に降りると、ギホンの泉がある。泉からシロアムの池まで533メートルの間はトンネルになっている。何千年も前から水を絶やしたことのないエルサレムで最も大切な水源地。このトンネルは紀元前740年アッシリアの王セケナリブに攻められたとき、当時は城壁の中にあったシロアムの池まで水を引くため、岩をくりぬいて造ったもの。夏はショートパンツで歩いて行ける。ただし懐中電灯を用意し、グループで入ること。「エルサレム旧市街図」参照。右下の方に点線で示されている。

★シロアムの池Siloam Pool
 ケデロンの谷を南へ500メートルほど行き、右側の坂を上がるとモスクに通じる緑色に塗った鉄製の扉がある。そこを入って階段を降りると、そこがシロアムの池である。「旧約」では「下の池」と呼ばれ、「新約」ではイエスが盲人を癒した池となっている。1880年、水道坑の岩壁から、ここを造ったときの模様を記した「シロアム碑文」が発見され、いまはイスタンブール博物館にある。

◆ヨハネ福音書から「盲人を癒す」
 こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
画像

 この日つづく

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
【海外旅行】聖地イスラエル一周の旅日記(6/7) 88歳:昭和/平成の思い出をつづる/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる