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zoom RSS 【海外旅行】聖地イスラエル一周の旅日記(2/7)

<<   作成日時 : 2017/04/29 15:55   >>

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【第3日】1987/7/31(土)テルアビブ→カイザリア→ハイファ→アッコー→ナザレ→ティベリア

 07:30モーニングコール。08:00荷出し。朝食。09:00バスにて出発。海岸沿いに「シャロンの野」を一路北へ。ナタニアの町を経て、10:00最初の観光地カイザリア着。

●カイザリアCAESAREA
 フェニキア人により、紀元前4世紀に作られた街。アウグストス帝が前30年にこの町をヘロデ大王に与えたので、彼は12年掛けて人口の港と、それを放射状に取り囲む純ローマ風の市街を作り、帝に捧げて「カイザリア」と名付けた。ローマから遣わされたユダヤ提督はこの地に居を構えた。ポンティオ・ピラトスもここに住んだ記録がある。ペテロやパウロがローマ宣教に旅だった基地として重要な聖地となっている。十字軍時代、神殿騎士団(タンプリエ)が長い間、聖杯を擁して立て籠もった。見どころは、ローマ時代の水道橋、野外劇場(ときどき音楽会がある)、競技場(映画ベンハーのロケを行ったところ)など。 
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 最初に野外劇場(ローマ時代)に上がって、城壁に囲まれた十字軍時代の町あとを眺め、同じく水道橋(導水路)へ行く。ヨーロッパから中東まで、どこへ行ってもローマの遺跡が目立つ。挿絵は野外劇場の端の階段を降りているところ。前から二番目が妻。
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 水道橋は「カルメル山」から引いたようです。海岸沿いに走っているので、アーチの向こうにはビーチパラソルが……「アッ!ここは地中海」。
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 11:40カルメル山から「ハイファ港」を眺める。中央左のドームはバハイ教本山寺院。
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●ハイファHAIFA
 イスラエル最大の港町。サンフランシスコ、ナポリ、神戸にも似ているといわれる。背後のカルメル山は聖書にも何度も出て来るが、ハイファの名は記されていない。しかし既に紀元前14世紀から小さな港町として栄えていたとの記録がある。ヘルツェル通りは目抜き通り。ショッピング、立ち食いスタンドはどこにもある。

★バハイ教寺院
 ペルシャで始まった宗教の本山。

★カルメル会修道院
 山の中腹にある大きな教会。預言者エリヤとエリシヤを記念して建てられた。1799年ナポレオンがアッコに上陸しようと試みた時は、フランス兵のための病院として使われた。ここからの景色は素晴らしい。

★エリアの洞窟
 預言者エリヤがバアルの神と戦ったあと、イスラエルの王アハブの怒りをかい、それを逃れるため一時身を隠したといわれる洞窟。エリヤの時代から8世紀後、エジプトから帰った「聖家族」もここに隠れたといわれる。
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 12:00レストランで食事。とろみのあるカタクリにシャンピニオン入りのスープ。サラダ。ターキーのフライ=名物料理にポテト添え。パンは「ナン」という中東風(ホットケーキのような形)。ビール1$25。コーラ1$。

 13:00アッコにつく。バスを置いて町を歩く、パウロが第三次伝道旅行に出る時一泊したといわれる。1297年、十字軍を追っ払ったあと、町が埋められていて、最近発掘された。イスラエル地下抵抗運動者(ペギン首相等)が捕らえられていた所。「栄光への脱出」の舞台。漁港を見て、土産物屋で「メノーラ」(ユダヤの7枝の燭台)75シェケルを買う。15;15ナザレに向かう。

 添付写真は、当時の写真アルバムの題字で、現地で買った「メノーラ」に蝋燭を灯し、最上端のヘブライ文字は、辞書等により自分で作文した「聖地イスラエルの旅」の訳文です。
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 この日つづく……

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