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zoom RSS 【海外旅行】聖地イスラエル一周の旅日記(1/7)

<<   作成日時 : 2017/04/27 10:31   >>

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聖地イスラエル一周の旅ー1987年(昭和62年)7月30日〜8月6日(8日間)

 未だ現役中の、夏の休暇旅行です。イスラエルは「ロマネスク美術」を「研究」?する私たち夫婦としては、キリスト教徒ではありませんが、とても興味深いところでした。あまり一般的なところで無いので、皆さんに紹介の意味も含めて、当時の旅のメモと、写真アルバムをもとに、旅日記を再生してみることにしました。お付き合いください。
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【第1日】1987/7/30(木)東京→成田→アンカレッジ

 私は当日夕刻、担当子会社(大森)から「箱崎インター」へ直行。そこで妻と合流して、リムジンバスで成田南ウイングへ19:00着。20:05再集合。

  「トラベル世界」という小柄の旅行会社。添乗員(男)1名、乗客(男7名、女5名)12名。スカンジナビア航空SK980便にて成田21:30発。DC10、席は33J&H。前はCAの席。アンカレッジ経由コペンハーゲンへ。例によってハルシオン(睡眠薬)を飲んで、「アイマスク」をして眠る。約4時間。アンカレッジ空港も既に10回以上経験しているので、特に感慨無く、再び機上へ……

【第2日】1987/7/31(金)アンカレッジ→コペンハーゲン→テルアビブ

 目覚めてトイレで髭剃りをして……コペン着06:40。乗り換え時間に余裕があるのでちょっと市内へ出ることになりました。50ドルをクローネに両替。$50→345.3ー15=330.13クローネ。1クローネ約22.7円。(当時米$1=¥150)08:30集合して、入国手続き。ロッカー5クローネ(5人で入れた)。市内までリムジンバス片道一人21クローネ。09:15中央駅着。プラットフォームに赤い電車が印象的。11:40集合という事で自由解散。

 ヘンケルの店を覗いたりしましたが、「チボリ公園」が10:00開園。23クローネ。入ってみましたが、内部の建物が閉まっており、結局1時間ぶらぶらして11:00に出て、ストロイエ(Stroget)(歩行者天国)で、妻のプルオーバー(セーター)を買いました。898クローネ。ダイナースカードで買いましたが、免税は空港で捜し回って、デタックス申請をして、9月に銀行に134.99クローネ振り込まれました。この時既にデンマークの消費税は22%でした。(証紙やレターが残っているだけなので、円換算は判りません。代金約20,000円で手数料差引で3,000円バック。)

 空港に戻って、構内のレストランで昼食。フランクフルトソーセージ、車海老の蒸し焼き、ビール2本、フルーツポンチ。2人で103.5クローネ→¥2,300。13:15。77クローネ残る。14:30集合。ゲート28A。同じくスカンジナビア航空SK771便15:45発イスラエルのテルアビブへ直行。予定より40分遅れで21:00ベングリオン空港に到着。バスでホテルへ。

 車内でいろんな説明と注意事項。通貨シェケルは100円位。枕錢は毎日1ドル(150円)または1シェケル。食事のチップは10%。今金曜日夜なので、すでに土曜日日没まで「安息日(シャバット)」に入っている。ホテルの水は飲める。コーラ、ビール、水などを飲んでください。常に「旅行用ライト」を忘れず携帯のこと。

 22:30市内のグランドビーチホテル着。サービスにロビーで「オレンジジュース」が振る舞われる。日本との時差7時間なので、成田集合19:30から27時間の長い旅でした。予定にあった「テルアビブとヤッフォの見学」はカット。(当初はコペンの待ち時間少なく夕刻テルアビブ着の予定だった)。808号室。24:00過ぎに就寝。

 ここで少し「イスラエル」のことを整理しましょう。国の位置は地中海の東の端に面して、トルコの中部から南へシリヤ、レバノン、イスラエル、と続き、南はエジプト、東はヨルダンに接しています。当時の資料では21,000km2。四国よりやや広い。人口370万人(今は800万人を超えている)。首都はイスラエル側は「エルサレム」と主張し、国連側は「テルアビブ」と見做しています。

 挿絵の地図は当時の写真アルバムに貼り付けてあったもの。「赤枠」が宿泊地「緑枠」が訪問地です。(クリックして大きくして見て下さい)
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 歴史的にいえば、

■紀元前20世紀頃、族長アブラハムの時代。
■前17〜113世紀、ヘブライ人の一部がエジプトに移住するも、圧政をうけ、モーゼに率いられてこの地に戻る。「出エジプト」。
■前10世紀、ダビデ、ソロモンの王国時代。ユダヤ教の神殿が造られる。北はイスラエル、南はユダに分割される。
■前587年、ネブカドネザル王がエルサレムを侵略、神殿破壊。ユダヤ人の「バビロン捕囚」が始まる。
■前538年、ユダヤ人、バビロンから帰り、神殿再建。
■前332年、アレクサンドロス大王による征服。
■前63年、ローマの属領となる。
■前5年頃、ヘロデ大王の治下、キリスト誕生。
■70年、ユダヤ戦争、ローマ軍が神殿破壊。
■637年、アラブ人による支配始まる。
■1099年、第一次十字軍によるエルサレム王国誕生。
■1292年、エジプト・マムルーク朝による支配。
■1517年、オスマントルコによる支配。
■1882〜9年、「シオニズム運動」(祖国復活)始まる。
■1922年、第一次世界大戦の結果、イギリス委任統治。
■1947年、国連がパレスチナ分割案を可決。アラブ諸国は拒否。
■1948年、イスラエル共和国独立宣言。第一次中東戦争。
■1956年、スエズ紛争。第二次中東戦争。
■1967年、六日間戦争。第三次中東戦争。
■1973年、贖罪日戦争。第四次中東戦争。
■1979年、イスラエル・エジプト平和条約調印。
■この旅行の直後、1987年12月、パレスチナ人による民衆蜂起(インティファーダ)が起こる。

 このように、アラブの中に、無理矢理作った、近代イスラエル国は、緊張状態/紛争状態が現在も続いています。

●テルアビブTEL-AVIV(当時の資料/写真アルバムに記載してあったモノ。以下同様)
 「春の丘」を意味する。人口約100万。商業の中心地。ベンダリオン空港は、現代のイスラエル国家独立の大立て者、ダビッド・ベンダリオン氏に因む。改名以前は「ロッド」と呼ばれていた。使徒行伝の「ルッダ」である。使徒行伝の「ヨッパ」は「ヤッフォ」で市の南部に組み込まれている。

●ヤッフォYAFO(JAFFA)
★アンドロメダが繋がれた岩
 丘の上から海を見下ろすと、大きな岩が突出している。ギリシャ神話に出てくる「アンドロメダが繋がれた岩」といわれている。美しいエチオピアの王女アンドロメダが国を救うために海の怪獣に人身御供にされた。
★皮なめしのシモンの家
 港の灯台の横にある小さなモスクのある所といわれている。ペテロがヤッフォに滞在する間、このシモンの家に泊まったことが「使徒行伝」9〜10章に記されている。

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